安房国札観音

国札観音のはなし

世間の人々の悩める音(声)を観じて(聞いて)願いを成就させてくれるという観世音菩薩。慈悲にあふれる観世音菩薩は三十三の姿に身を変えて人々を救うといわれている。日本では平安時代の西国三十三観音霊場をその創始として、全国各地に三十三観音霊場がつくられ、現在も人々の篤い信仰を受けている。安房の札所は鎌倉時代の貞永(じょうえい)元年(1232)、ひとりの行脚僧(あんぎゃそう)が安房の地を訪れて山紫水明の観音霊地を選び、その宝前(ほうぜん)にご詠歌を納めて開扉(かいひ)し、諸人に結縁(けちえん)させたのがはじまりと伝えている。その頃関東一円では悪病が流行し飢饉に襲われて、人心不安から社会が混乱していたといい、こうした災害からの救済を観音に求めて西国三十三か所うつしの霊場が創設され、後に番外花山院(かざんいん)になぞらえて一か所がつけ加えられ三十四か所になったのだとか。安房の観音霊場を訪ねた中世の人々の霊夢を見たという小町村(鴨川市)の山口勘左衛門が、寛文7年(1667)に現在の御詠歌を作ったという縁起が残されている。安房国札(くにふだ)観音霊場のご開帳は、12年に1度の丑歳(うしどし)本開帳と午歳(うまどし)の中開帳(なかがいちょう)がある。開帳期間中は観音様のお厨子の扉が開けられ、ご本尊を拝することができる。