(20)坂井翁作古墳(坂井) 

 この古墳は昭和42年に平砂浦を望む高台でホテルの工事中に発見されたものです。標高35mの砂丘先端部に存在し、平砂浦から吹き上げる砂に覆われていましたが、すでに原形は消滅し、規模も明らかではありません。確認された遺物は須恵器・鉄刀・圭頭大刀・環頭大刀などで、それらとともに人骨も発見されました。副装品から郡内屈指の支配的階級者のものと考えられていますが、玉類などの装身具は確認されませんでした。古墳の少ないこの地方にとっては貴重な遺跡であり、出土した金銅製の圭頭大刀・環頭大刀は市の文化財に指定されています。またこれに隣接して鏡や玉類を出土した横穴墓も確認されています。

◇交通 JRバス砂山下車徒歩1分

(19)平砂浦砂防林(坂井・小沼)

 西岬から神戸へかけての長さ7km・幅2~3kmに及ぶ砂丘を平砂浦といい、古くは稗田浦などと書かれていました。九つの小河川がつくり出した砂丘で、平砂浦に面した村々では昔から砂防に苦心し、砂防林の植栽を実施してきましたが、完全な効果をあげることができませんでした。昭和24年になって当時の西岬村・神戸村が県との協力で、小沼から犬石までの4kmにわたる砂防林造成工事を始め、昭和33年の完了まで10年を費やして現在の松林をつくりあげました。今ではフラワーラインが走り、レジャー施設もできて、新しい観光名所となっています。

◇交通 JRバス平砂浦・ゴルフ場前など下車

(18)砂山(坂井) 

 平砂浦を望む高台にあり、サンドスキーを楽しむ子供や、バイク・ハングライダーを楽しむ若者などでにぎわうところで、昔は遠足にくる学校もあるほど、観光の名所として知られていました。平砂浦から吹き上げる砂がたまってできていたのですが、砂防林の完成などによって最近では砂が少なくなってきているようです。

◇交通 JRバス砂山下車徒歩1分

(17)小原やぐら(坂井)

 中世の武士層の墓で、鎌倉を中心に三浦半島に分布する墓制で、山裾や山腹に横穴を掘り火葬骨を埋葬したものを「やぐら」と呼びますが、東京湾をはさんで安房にもよくみられるものです。西岬では小原の薬師堂裏の山腹にあり、やぐら内には中世の五輪塔や宝篋印塔の断石が納められています。

◇交通 JRバス小原下車徒歩10分

(16)宝安寺(小沼) 

 曹洞宗の寺院で、本尊は木造虚空蔵菩薩です。この像は南北朝期から室町時代にかけての作と考えられます。寄木造りで彫眼が施されていますが、漆箔などの補修がみられます。この寺は何度か火災にあって什物などは焼失していますが、この像はもち出されて無事でした。

◇交通 JRバス小沼下車徒歩2分

(15)円光寺(伊戸)

 真言宗の寺院で、里見氏から伊戸村に6石の寺領をうけ、江戸時代も幕府から6石の朱印地を与えられていました。今でも元和2年(1616)の代官中村吉繁による充行状が残されています。明治になるとこの寺には画家青木繁が投宿し、制作活動をしたことがよく知られています。また堂内の欄間には安房の代表的な彫工武志伊八郎の作品があります。

◇交通 JRバス伊戸下車徒歩1分

(14)持明院(西川名)

 真言宗の寺院で、本尊の木造聖観音菩薩坐像は新しい彩色が施されていますが、原形は室町時代の作と考えられているものです。境内には中世の五輪塔や宝篋印塔の断石があり、墓地には室町時代の完形の五輪塔が二基まつられています。また江戸時代は幕府から、3石5斗6升の朱印地を川名村のうちに与えられていました。

◇交通 JRバス西川名下車徒歩5分

(13)洲崎神社(洲崎)

 忌部一族による安房開拓神話に登場する安房忌部氏の祖天富命が、祖神の天太玉命を祀ったのが安房神社で、その后神の天比理乃咩命を祀ったのが当社であるといいます。平安時代の「延喜式」には「后神天比理乃咩命神社大、元名洲神」とあり、洲神には「スサキノ神」と訓があります。鎌倉時代には源頼朝の崇敬をうけ、石橋山合戦に敗れて安房へのがれた頼朝が当社へ参詣し、田地を寄進しているほか、北条政子の安産祈願もしています。また戦国時代の初めには太田道灌が当社の神を江戸城近くに勧請して神田明神とするなど、広い信仰がありました。里見氏からは4石の社領をうけ、江戸時代にも幕府から5石の社領を与えられていました。境内には文政3年の石標があり、拝殿の篇額は松平定信の筆になるものです。また3巻の当社縁起をはじめ、本殿や「オカモジ」といわれる神体髪が市の指定文化財になっているほか、8月に行われる「洲崎踊り」や神社裏の御手洗山の自然林は県の指定をうけています。

◇交通 JRバス洲の崎神社前下車徒歩2分

(12)観音寺(洲崎)

 真言宗の寺院で妙法山観音寺といい、別に養老寺の名で親しまれています。安房三十四観音の第三十番札所でもあり、本尊は十一面観世音菩薩立像。境内には石窟と独鈷水があり、いづれも役行者との関係を伝えていて、窟中には役行者の石像があります。また江戸時代は幕府から2石の朱印地をうけていました。

◇交通 JRバス洲の崎神社前下車徒歩1分

(11)洲崎御台場跡(洲崎)

 奥州白河藩によって波左間の陣屋と同時に築かれた砲台で、玉除けの土手をつくり、5門の大砲が据えられていました。洲崎のうち早崎に築かれ、勝崎と呼ばれていました。藩主松平定信をはじめ幕府の若年寄や勘定奉行などが巡見に訪れています。白河藩が任を解かれたあと、幕府代官が引き継ぎ、その後武州忍藩や備前岡山藩が海防の任にあたると、遠見番所としても利用されました。同じ頃伊戸にも大砲3門を備えた台場が築かれています。房総の台場は安政5年(1858)の日米通商条約締結後に、富津の一ヶ所を残して廃止されました。

◇交通 JRバス洲の崎灯台前下車徒歩8分