(15)月除の三山碑(高井)

 江戸時代になると、出羽三山と呼ばれる山形県の月山・湯殿山・羽黒山を信仰して、登山参拝するための三山講が各地につくられました。高井の月除にある共同墓地には、三山へ登山した人が記念に建てた三山碑と呼ばれる供養塔が数多くあります。正徳4年(1714)を最古に、江戸時代の供養塔が7基並び、その下にはその後の人々が加えていった台石が積まれ、江戸時代から昭和43年までの17回の登山が確認できます。

◇交通 日東バス金谷線湊区下車徒歩20分

(14)善浄寺と高皇産霊神社(高井)  

 善浄寺は真言宗の寺院で無量山善浄寺といいます。本尊は鎌倉時代末から南北朝時代にかけて造立された木造地蔵菩薩立像で、頭部は後に修補したものですが、体部は本格的な造形で、衣文の表現も優れたものです。他にも室町時代の作と思われる木造如来立像があります。安房百八ヶ所地蔵巡りの百七番で、明治5年の宥性による御詠歌額があります。隣接する高皇産霊神社は、明治以降9月の八幡の祭に神輿を渡御している神社で、境内には嘉永2年楠見の石工田原長左衛門の灯籠があります。

◇交通 日東バス金谷線湊区下車徒歩15分

(13)デカンショ節の碑(八幡)

 大正から昭和にかけて学生の間でデカンショ節という歌が大流行しました。この歌は明治31年から八幡の江戸屋旅館を本拠に合宿を始めた一高水泳部がつくりだしたものです。もともとは丹波篠山の民謡デコンショで、偶然江戸屋に投宿した篠山の青年たちから水泳部員に教えられて、デカンショ節が生み出されました。これを記念して江戸屋跡地にデカンショ節発祥の地の記念碑が建てられています。古式泳法を伝える安房泳法会は、一高水泳部の水府流・神伝流の伝統を受け継いでいるものです。

◇交通 日東バス金谷線湊区下車徒歩1分

(12)鶴谷八幡宮(八幡) 

 安房国の総社で、もと三芳村府中にあったものが、鎌倉時代に現在地に遷座したといいます。康応2年(1390)には安西八幡宮の名で資料に現れています。八幡神を氏神とする里見氏歴代は厚く当社を保護し、永正5年(1508)以降の里見氏による修理が7回あり、現存する棟札3枚が市の指定文化財になっています。里見氏奉納と伝える脇差もあります。また里見忠義のとき社領174石を寄進され、別当那古寺の支配をうけましたが、このほかに神主が御手洗免として1石5斗を与えられています。その地は府中の元八幡社周辺で、今も9月の祭礼ではここでお水取りを行います。その祭礼を「八幡のまち」といって郡内の旧社10社の神輿が渡御する郡内最大の祭りで、かつては放生会と呼ばれていました。江戸時代にはこの日に市がたち、今も農具市として続いています。本殿や向拝天井の彫刻が市の指定で、彫刻は百態の龍と呼ばれる後藤義光の作品です。境内には長須賀村の石工鈴木伊三郎の狛犬のほか記念碑が多く、長尾藩士で書家として大成した小野鷲堂・平久里の医師で幕末の詩人加藤霞石の記念碑や安房先賢偉人10名の顕彰碑、西南の役・日清・日露戦役の記念碑、文久年間の社殿再建記念歌碑などがあります。

◇交通 日東バス金谷線八幡神社前下車徒歩1分

(11)八幡共同霊苑(八幡)

 長尾藩は鶴ヶ谷陣屋北端に藩士のための共同墓地を造成しています。家老の遠藤俊臣や雨宮信友をはじめとする多くの重役、藩校日知館の書道師範熊沢董や剣術師範小野成命など数多くの藩士が眠っています。碑文が刻まれたものも多くみられ、その経歴を知ることができます。藩士の中には廃藩後教師になるものが多くいましたが、次第に館山を離れていきました。今も館山に残る家は少なくなっています。

◇交通 JR館山駅下車徒歩15分

(10)綴錦織(八幡)

 たて糸を掛けた下に図案を置き、図案の色に合わせてよこ糸を爪や櫛で織り込み、絵や模様を描き出す絹織物技術です。爪と櫛を利用して織り出すところに特色があり、中指の爪はヤスリで7本の櫛型に整形されています。奈良時代に中国から伝えられた技法で、江戸時代の天明年間にもっとも流行しました。遠藤順治の技術を受け継いだ和田秋野氏が、県の無形文化財に指定されています。壁飾りなどにしますが、芸術性の高い織物で帝展・文展にも入選しています。

◇交通 JR館山駅下車徒歩15分

(9)来福寺(長須賀) 

 真言宗の寺院で海富山来福寺といいます。里見氏以降江戸時代をとおして、下真倉に寺領12石を与えられていました。薬師堂には室町時代中頃の木造薬師如来立像が祀られているほか、沼村の画工勝山調が文政8年に奉納した狂歌入りの絵馬があります。境内には幕末から明治にかけての安房を代表する彫刻師後藤義光の寿蔵碑が弟子などによって建てられているほか、寛政元年の庚申塔や、出羽国から来て文政13年にこの地で没した絵師蕗山考民の墓があります。また墓地のなかに幹回り4mを越えるタブノキがあります。

◇交通 JRバス豊房回り来福寺下車徒歩1分

(8)唐桟織(長須賀)

 斎藤頴・光司両氏が伝える織物技術で、江戸時代に庶民の間で流行した木綿縞織の一種です。明治10年代に両氏の祖父斎藤茂助が、東京蔵前の殖産所で伝習して以来同家に伝わるもので、現在わが国唯一の技術保持者として、県の無形文化財に指定されています。植物染料によって糸を染めるのが特徴のひとつですが、独特の色を出すため原液を口に含んで味覚によって配合するところに秘伝があります。また織り方と、砧でたたいて出した腰のあるしなやかさも唐桟織の特色です。

◇交通 JRバス豊房回り来福寺下車徒歩4分

(7)浜新田(北条) 

 江戸時代、汐入川の河口は現在よりも300mほど北に流れ出ていました。幕末の弘化5年(1848)から明治14年(1881)にかけて、山本村名主小原善兵衛と北条村栖原屋与兵衛の二人が私財を投じて河道を付け替え、右岸に34,000坪の水田を開いたことから今の川筋となり、水田は小原新田と呼ばれました。やがて東京からの汽船の船着場ができると、旅館や別荘も立ち並び、今は渚銀座と呼ばれる飲食店街ができています。

◇交通 JR内房線館山駅下車徒歩5分