参考文献

●藤枝市史 上・下巻
●館山市史
●千葉県史料 近代篇 明治初期一「長尾県」
●千葉県教育史 第一巻 「第三章、藩立学校(安房)上」
●館山市文化財保護協会報第15号別冊(長尾藩史考) 千葉吉男 昭和57年
●館山と文化財(会報16号)「続長尾藩史考(一)」 千葉吉男 昭和58年
●館山と文化財(会報17号)「続長尾藩史考(二)」 千葉吉男 昭和59年
●安房先賢偉人伝「恩田仰岳」 大野太平 昭和56年復刻
●安房先賢遺著全集「恩田仰岳」 大野太平 昭和56年復刻
●長尾藩史譚 池谷鉱太郎 昭和6年
●田中藩・長尾藩藤井資料 藤井 誠
●田中藩叢書 全8冊(「田中葵真澄鑑」・「田中藩校日知館の文武」・「石井縄斎とその子頼水」・「燈雪斎完梁集」・「鳩居集地図編」・「熊沢惟興歌集」・「義民増田五郎右衛門」・「藤枝宿と瀬戸川川越」)
大房 暁 昭和35年~39年
●田中藩武道史 大房 暁 昭和50年
●須藤力五郎抄 永井仁三郎
●加村台遺跡 流山市 昭和53年
●田中城跡発掘調査報告書 藤枝市 昭和55年

長尾藩資料目録

(今回の展覧会にあたり調査した資料)

所蔵者 住所 資料名
相川恭彦 藤枝市 長尾城分見図
青島次郎 藤枝市 一貫目玉
火縄銃(藩主より下賜)
伊佐熊治郎 館山市 小野鵞堂書幅
同 短冊
池谷花子 館山市 長巻・刀
神道智新心流長巻術目録
直心影流兵法目録
同 添状
長尾県大参事増田貢書幅
弁達所出頭命令状
書・画・古文書・伝書
宇島尚 館山市 陣笠


鎖頭巾
天心流棒術目録
小野鵞堂書副
大井神社 藤枝市 田中藩武衛流砲術奉掛額
小川普 館山市 甲冑
陣笠
旗印
くつわ
わらじ
弁当箱袋
小川是総自画像
日置流弓術目録
種田流槍術目録
藤岡流砲術伝書
文書・伝書

恩田利章

千葉市 甲冑
甲冑(藩主より下賜)
陣笠
あぶみ

馬印(魁之画)
恩田仰岳肖像画
長尾城地分見縮図
長沼流兵学免許
新八条流馬術免状
心念流棒術目録
武衛流砲術伝書
西洋流砲術入門誓紙
塩田龍潭書
盲人渡橋之画
(秦隆古画・芳野金陵題)
本多正訥名字状
書・画・古文書・伝書
杖珠院 白浜町 御一新ニ付調書 ※ニは全角カタカナの”に”
杉山茂 館山市
直心影流兵法目録
同 添状
直心影流兵法伝記
杉山岩蔵英名録
長沼流兵学免許
鈴木秀夫 館山市 恩田仰岳書幅
恩田城山書幅
曽根勇 館山市 萱野士族邸地実歩調書
萱野藩士邸絵図
高山義丸 白浜町
潜水具箱(藩主より下賜)
太田良光男 館山市 十手
天心流棒術目録
武衛流砲術目録
武衛流砲術伝書
典籍
千葉昭 館山市 陣笠
鶴谷八幡神社 館山市 太鼓
太鼓寄進状
鳥居英夫 館山市 箪笥
こうり
原田孝 館山市 甲冑
陣笠
わらじ
采配
弁当箱
香炉
花器
脇差・短刀
武衛流砲術免許
都筑蕃宣画
藤井誠 藤枝市 北条陣屋絵図
藩庁絵図面
地方役所絵図
萱野藩士邸絵図
新塩場藩士邸絵図
八幡浜添藩士邸絵図
正木村浜添藩士邸絵図
藩士邸絵図
田中藩校日知館絵図
田中城絵図
国替ニ付道中諸入用覚 ※ニは全角カタカナの”に”
軍務館日誌
軍務館順席帳
明治六年諸誌録
旧長尾県家禄帳
地所売買ニ付券証書換願 ※ニは全角カタカナの”に”
旧長尾藩士人名及住所
旧長尾藩士凱旋写真
藤枝市教育委員会 藤枝市 田中城絵図
田中城古図
熊沢惟興遺稿類
前田穣 館山市 陣羽織

旗印
制剛流柔術免許
種田流槍術免許
火巧図鑑
炎矢砲之巻
宋旨改証文
家作作料請取状
家禄不足額請求者名簿
旧長尾藩士人名及住所
熊沢猶龍書
伝書・古文書
増井房太郎 藤枝市 三百目玉
藪崎美代子 館山市 脇差
館蔵 箪笥(藪崎家旧蔵)
武衛流砲術目録
神流棒術目録
短銃
陣笠
甲冑

あぶみ
雑兵鎧
萱野共同墓地 館山市 石神直喜墓碑
杖珠院 白浜町 恩田仰岳碑
恩田城山碑
西養寺 千倉町 都筑能喬墓碑
手力雄神社 館山市 石井氏碑
鶴谷稲荷神社 館山市 大砲之碑
鶴谷八幡神社 館山市 小野鵞堂碑
不動院 館山市 小沢直治墓碑
八幡共同墓地 館山市 小沢直光墓碑
熊沢猶龍墓碑
熊沢惟興碑
石井弥一 館山市 石井家報恩碑

(敬称略)

恩田仰岳

諱は利器、豹太と称し、明治3年10月の隠居後は豹隠と称した。学問を好み藩の儒官石井縄斎に師事し、のち江戸へ出て長沼流兵学の印可をうけた。天保4年に藩の兵学師範となり、黒船来航をきっかけに西洋式兵制への改革を断行した。明治2年の版籍奉還にともなう藩制改革で権大属に任ぜられたが、長尾陣屋建設に失敗し隠居したのちは、私塾を開いて地元の子弟に漢学を教授した。田中藩時代からの弟子は1,000人余にのぼる。明治24年1月83才でなくなった。安房先賢偉人の一人である。

仰岳肖像画(65才のとき)

仰岳肖像画(65才のとき)
恩田利章氏蔵

仰岳先生碑

仰岳先生碑
杖珠院

塾生鈴木氏の帰養を送る(77才のとき)

塾生鈴木氏の帰養を送る(77才のとき)
鈴木秀夫氏蔵

仰岳書幅

仰岳書幅
鈴木秀夫氏蔵

仰岳書幅

仰岳書幅
鈴木秀夫氏蔵

藩主から拝領の甲冑

藩主から拝領の甲冑
恩田利章氏蔵

長尾藩士-墓碑から-

安房にとどまった旧藩士たちは、八幡地区の旧藩士共同墓地を中心に萱野の共同墓地、千倉の西養寺などに眠っていますが、著名藩士のほか、地元の教育に貢献した人たちも多くいます。そのなかから墓碑、記念碑などから知ることのできる藩士について紹介します。これらの人々のほかにも、地元に貢献した人は多くいます。また画家の藤田嗣治や、歯車の研究で著名な工学博士の成瀬政男も旧藩士の子孫です。

熊沢薫

熊沢薫
八幡共同墓地
日知館の創始者のひとり熊沢惟興の子。藩の勘定奉行をつとめた。猶龍と号し、書道師範として小野鵞堂を育てた。また武田流弓術の師範をもつとめ、文武両道に秀れていた。明治9年死去、46才。

小沢直治

小沢直治
不動院
日知館の算学師範。明治3年長尾城地分見縮図の作者。廃藩後、藩の漢学師範であった奥田竜湫とともに私塾を開いた。学制発布後明治6年に北条小学校の教師となる。明治10年死去、52才。

石神直喜

石神直喜
萱野共同墓地
明治11年千葉師範学校を卒業し、多田良小学校をはじめとして、竹原小学校・瀬戸小学校で教員をつとめた。しかし明治16年肺を病んで27才の若さで死去した。

小沢直光

小沢直光
八幡共同墓地
直治の子。廃藩後木更津県に出仕し、のち山武郡、また安房四郡の書記となる。明治25年天津町長となり、32年の大津波の被害をうけたとき復旧に努めた。その年復旧のさなか48才で死去。

恩田城山

恩田城山
杖珠院
恩田仰岳の子。城山と号す、兵学師範、また西洋砲術の教授もした。明治6年白浜小学校の教師となり26年北条に開設された私塾日知学舎に招かれて、門人の指導にあたった。大正8年死去、82才。

小野鵞堂

小野鵞堂
鶴谷八幡神社
剣術師範小野成命の子。書家として名をなした。女子学習院教授として上流社会の子女教育につくした。また斯華会を創立し、全国の門弟に通信教授を行なった。大正11年死去、61才。

文芸

文芸もまたよく行なわれ、十二代藩主正訥は博学の藩主として知られて、高鍋藩主秋月古香・唐津藩主小笠原明山と並んで天下の三公子とうたわれ、『清史逸話』という著作もあります。藩内では増田岳陽・石井頼水などの儒官を中心に、漢学の奥田竜湫・熊沢猶龍・芳野金陵・恩田仰岳・城山父子、あるいは算学の古谷道生など有能な人材が輩出しました。また俳諧や漢詩・書画も広く行なわれ、書家として知られる小野鵞堂も藩士でした。廃藩後は恩田仰岳のように私塾を開くものや、学制施行後の学校教師として活躍した人も多くいました。

芳野金陵題・秦隆古画

芳野金陵題・秦隆古画
金陵は漢学師範、のちに昌平校の儒員になった。 隆古は藩の絵師である。
恩田利章氏蔵

熊沢猶龍

熊沢猶龍(次頁参照)
前田穣氏蔵

恩田城山書幅

恩田城山書幅
恩田城山(次頁参照)
鈴木秀夫氏蔵

増田岳陽書幅

増田岳陽書幅
増田岳陽・長尾県大参事、漢学師範、剣・槍・書・画をよくした
池谷花子氏蔵

小野鵞堂書幅

小野鵞堂書幅
小野鵞堂(次頁参照)
伊佐熊治郎氏蔵

武芸

藩内での武芸はきわめて盛んであり、なかでも剣術と槍術では豪傑が輩出して全国に名をはせました。諸国修行の武芸者は必ず田中の道場の門をたたいたといわれます。直心影流剣術では小野成命・小川是総・杉山秀俊、種田流槍術では佐竹庸徳・遠藤俊臣などがよく知られていますが、弓術や砲術・馬術・柔術も盛んで、流派も多く、多種多様の武芸が行われました。また小野成命・小川是総などは多芸に秀で、多くの者が二術に秀でていました。

長巻
長巻   池谷花子氏蔵
神道智新心流長巻術目録

神道智新心流長巻術目録
池谷花子氏蔵

刀・脇差

刀・脇差
個人蔵

直心影流剣術目録
杉山茂氏蔵

刀


杉山茂氏蔵

英名録

英名録
藩士杉山岩蔵が諸国修行に出たときの対戦相手が記入されている
杉山茂氏蔵
種田流槍術目録

種田流槍術目録
小川普氏蔵

槍


恩田利章氏蔵

心念流棒術目録

心念流棒術目録
恩田利章氏蔵

十手

十手
太田田良光男氏蔵

日置流弓術目録

日置流弓術目録
小川普氏蔵

弓


宇島尚氏蔵

武衛流砲術免許

武衛流砲術免許
太田良光男氏蔵

藩士が奉納した大砲

藩士が奉納した大砲、
戦前まで鶴谷稲荷神社にあった

〔「田中藩武道史」より〕

三百目玉(左) 増井房太郎氏蔵
一貫目玉(右) 青島次郎氏蔵

田中藩武衛流砲術奉掛額

田中藩武衛流砲術奉掛額 安政6年
この年田中藩と演習相良藩で 砲術試合を行なったことを記念して奉納された。
 藤枝市大井神社蔵

大砲碑

大砲碑
鶴谷稲荷神社

西洋流砲術 血判入門誓紙

西洋流砲術 血判入門誓紙
恩田利章氏蔵

西洋流大砲図

西洋流大砲図
恩田利章氏蔵

武芸と文芸-藩士の生活-

田中藩時代の天保8年(1837)、時の藩主正寛(まさひろ)は藩士教育の振興のため、水戸弘道館にならって、学問と武術両道の教場として藩校日知館を創設しました。移封後も白浜村に藩立学校を設置し、北条村と北朝夷村には分校をおいて、藩士のほか地元民の子弟も入学させました。藩校での稽古は文学・兵学・医学・素読・習字・算学などの学問と、弓術・馬術・槍術・剣術・砲術・柔術などの各種武術が行なわれました。また長尾藩校では手力雄神社(館山市大井)の神官石井昌道が肝煎として地元子弟の教育に貢献したこともよく知られています。

箪笥

箪笥
藪崎美代子氏蔵

こうり

こうり
鳥居英夫氏蔵

箪笥

箪笥
鳥居英夫氏蔵

弁当箱

弁当箱
原田孝氏蔵

陣羽織

陣羽織
前田穣氏蔵

香炉
原田孝氏蔵

裃


前田穣氏蔵

わらじ

わらじ
原田孝氏蔵

陣 笠

陣 笠
恩田利章氏蔵

陣 笠
宇島尚氏蔵

陣 笠
陣 笠

陣 笠
小川普氏蔵

陣 笠
原田孝氏蔵

陣 笠
長沼流兵学免許

長沼流兵学免許
恩田利章氏蔵

采配

采配
原田孝氏蔵

甲冑

甲冑
原田孝氏蔵

旗印

旗印
丸に立葵の紋は本多家の家紋
前田穣氏蔵

甲冑

甲冑
小川普氏蔵

新八条流馬術免状

新八条流馬術免状
恩田利章氏蔵

あぶみ

あぶみ
恩田利章氏蔵

くつわ

くつわ
小川普氏蔵

鞍


館蔵

馬印(魁之画)

馬印(魁之画)
恩田利章氏蔵

廃藩置県

明治4年7月、天皇は諸藩に対して廃藩置県を命じ長尾藩は解体して長尾県となりますが、12月には木更津県と合併して消滅しました。藩や藩主との関係を断たれた藩士たちは安房にのこるもの、旧田中領へ帰るもの、東京へ出るものと四散し、新政府の諸政策で武士の立場も失っていきました。

諸誌録

諸誌録 明治6年
 藤井誠氏蔵

刻の太鼓 元文元年作
 鶴谷八幡神社蔵

刻の太鼓
太鼓等寄進状

太鼓等寄進状 明治5年
廃藩後旧藩士によって奉納された
 鶴谷八幡神社蔵

旧長尾藩士家禄不足額請求者名簿

旧長尾藩士家禄不足額請求者名簿
 前田穣氏蔵

藩の制度

安房へ移封された長尾藩本多家は、安房国のうち長狭郡を除く三郡に162ヶ村、上総国天羽郡(富津市)に15ヶ村の合わせて4万石を領地としました。藩の機構も改革され、版籍奉還後に藩主は藩知事となりました。また政務は藩庁と地方役所(刑法局、民生局、会計局からなる)で司どり、一方軍事組織として軍務館が成立しました。

軍務館順席帳   藤井誠氏蔵

軍務館大属日誌 明治3年
 藤井誠氏蔵

弁達所出頭命令状 明治4年   池谷花子氏蔵