参考文献

「房総里見氏の研究」 大野太平著 国書刊行会 S.61
「房総里見一族」 川名登著 新人物往来社 S.58
「後北条氏の研究」 佐脇栄智編 吉川弘文館 S.58
「東国大名の研究」 佐藤博信編 吉川弘文館 S.58
「古文書と郷土史研究」 相田二郎著 名著出版 S.53
「太平寺滅亡」 三山進著 有隣堂 S.54
「千葉県史料 中世篇 諸家文書」 S.37
「千葉県史料 中世篇 県外文書」 S.41
「神奈川県史 資料篇3古代中世(3下)」 S.54

展示協力者

 今回の企画展開催及び図録作成にあたり、次の各位・機関よりご協力をいただきました。

西原一夫 稲子正治 芳賀実成 永塚正 伊澤昭二 山口正司 小倉実 石井昭房 豊岡一夫 吉田謙四郎 鳥海文也 高橋義隆 菊井堯晴 鳥海百合子 片山ひろこ 清水眞澄 薄井和男 井上久美子 上野理七郎 三山進

別願寺 東慶寺 円覚寺 開善寺 正龍寺 瑞龍院 延命寺 石堂寺 早雲寺 甘棠院 泉慶院 興禅寺 鶴谷八幡神社 神奈川県立文化資料館 埼玉県立博物館 神奈川県立博物館 鎌倉国宝館 千葉県立上総博物館 箱根町立郷土資料館 小田原市史編さん係 静岡県史編さん室 東京国立文化財研究所 文化庁 神奈川県教育委員会 箱根町教育委員会 埼玉県教育委員会 千葉県教育委員会

(敬称略・順不同)

展示資料一覧

資 料 名 所 在 所 有 者 指  定
木造聖観音菩薩立像 鎌倉市 東慶寺 重要文化財
聖観音由来書
北条氏鋼書状
北条氏康書状
北条氏康書状 円覚寺
青磁蓋付鍋文壺 別願寺 鎌倉市指定
古瀬戸黄緑釉尊形花器
縹糸素懸威最上胴丸具足 大宮市 埼玉県立博物館 埼玉県指定
里見義通奉納棟札 館山市 鶴谷八幡神社 館山市指定
里見義弘奉納棟札
木造足利頼氏像 丸山町 石堂寺
里見氏朱印状 丸山町指定
足利家国書状 三芳村 高橋義隆
木造里見義弘像頭部 館山市 瑞龍院
源氏里見系図 三芳村 延命寺 三芳村指定
里見氏印判状 木更津市 小倉実 木更津市指定
絹本著色北条氏康像(模写) 横浜市 神奈川県立博物館
北条氏五代系譜 埼玉県寄居町 正龍寺
藤田氏系図
北条氏朱印状 沼津市 西原一夫
紙本著色武田信玄像 本荘市 開善寺 本荘市指定
上杉輝虎書状 三芳村 豊岡一夫 三芳村指定
太田資正書状 横浜市 神奈川県立文化資料館
太田資正書状
黒漆塗軍陣鞍 館山市 菊井堯晴
あぶみ
二引両紋旗印 吉田謙四郎
五十二間総覆輪筋兜 品川区 芳賀実成
十二間黒漆塗筋兜 狭山市 伊澤昭二
黒漆塗仏胴具足
鉄扇 沼津市 西原一夫
北条氏康書状
太刀 館山市 石井昭房
鎧通
里見義頼書状 小田原市 稲子正治
北条氏政書状 館山市 当館
松田憲秀書状 三芳村 高橋義隆
北条氏朱印状 館山市 当館
仏胴胸取五枚胴具足 富津市 鳥海文也
館山市 当館
里見義頼朱印状 横浜市 山口正司
正木憲時朱印状 川崎市 永塚正

(敬称略・順不同)

里見氏・北条氏関係略年表

年号 西暦 事     項
文安2年 1445年 里見義実、安房を平定すという。
延徳3年 1491年 北条早雲、伊豆堀越の足利茶々丸を攻略する。
明応4年 1495年 北条早雲、小田原城の大森氏を破る。
永正5年 1508年 里見義通、古河公方足利政氏の武運長久を祈って鶴谷八幡宮神社を修復する。
永正14年 1517年 足利義明、下総小弓城を攻略し、ここに拠る。
大永6年 1528年 里見軍、鎌倉を攻撃する。
天文2年 1533年 3月、北条氏綱、鶴岡八幡宮造営のため里見義豊に援助を求めるも、義豊応ぜず。
7月、里見義豊、おじ実堯を討つ。
実堯の残党、北条氏の来援をたのむ。
天文3年 1534年 4月、里見義堯、義豊を討ち、首級を小田原へ送る。
天文4年 1535年 10月、義堯、氏綱の河越出兵に加勢する。
天文5年 1536年 3月、義堯、鶴岡八幡宮造営に協力して材木を送る。
天文6年 1537年 5月、小弓御所足利義明、上総峰上城に武田氏を攻める。
義堯、北条氏と手切れて、義明に援兵を送る。
天文7年 1538年 10月、義堯、氏綱と下総国府台に戦う。
足利義明討死し、義堯は義明の遺児を伴い 安房へ退く。
天文10年 1541年 7月、北条氏綱歿。
天文13年 1544年 里見義堯、正木時茂に命じて上総大多喜城を攻略する。
天文21年 1552年 1月、関東管領上杉慶政、上野平井城から北条氏康に遂われて、越後の長尾景虎(上杉謙信)をたよる。
天文23年 1554年 2月、北条氏康、上総峰上城の吉原氏をさそい 里見氏を攻めることを勧める。
3月、氏康、駿河の今川義元、甲斐の武田晴信(信玄)と講和する。
11月、氏康、下総古河城を攻略し、古河公方足利春氏・藤氏父子を相模国波多野に幽閉する。
弘治2年 1556年 里見義弘、相州三浦に北条氏を攻める。
永禄3年 1560年 氏康、上総久留里城に里見氏を攻める。
義堯、越後の上杉謙信に関東進出を要請する。
永禄4年 1561年 謙信、小田原城に氏康を包囲する。
義弘も包囲に参加し鎌倉に入る。
謙信、鎌倉で関東管領に就任する。
永禄5年 1562年 足利藤氏、北条氏康に古河城を追われ、里見氏をたよる。
永禄7年 1564年 義弘、北条氏康と国府台に戦い敗れる。
北条氏、上総を侵略す。
勝浦城主正木時忠、里見氏にそむき、北条氏とむすぶ。
永禄10年 1567年 8月、里見義弘、上総三船山の戦いで北条氏を破り、上総を回復する。
永禄11年 1568年 12月、武田信玄と北条氏康手切れとなり、甲相三国同盟敗れる。
永禄12年 1569年 北条氏康、上杉謙信と和睦する。次いで里見氏との和睦も望むも、義弘武田信玄と結ぶ。
元亀2年 1571年 10月、北条氏康歿。北条氏政、謙信と絶ち、再び武田信玄と和睦する。
元亀3年 1572年 信玄、北条氏と里見氏の和睦をすすめるも、里見氏応ぜず。
里見義弘、足利藤政の武運長久を祈って、鶴谷八幡神社を修復する。
天正1年 1573年 4月、武田信玄歿。
天正2年 1574年 6月、里見義堯歿。
天正5年 1577年 北条氏政、上総を侵略。次いで里見義弘と和睦する。
天正6年 1578年 3月、上杉謙信歿。
5月、里見義弘歿。
天正7年 1579年 9月、里見義頼、相模の山口越後守に安房上総への商船の乗り入れを許可する。
天正9年 1581年 義頼、大多喜城主正木憲時の反乱を鎮圧する。
天正10年 1582年 武田勝頼滅亡。
義頼、甲斐で徳川家康と対陣する北条氏直に援軍を送る。
天正15年 1587年 10月、里見義頼歿。
天正18年 1590年 4月、豊臣秀吉、小田原城に北条氏政を包囲する。
里見義康、秀吉に応じて三浦半島を攻める。
7月、北条氏政滅亡。
里見義康、豊臣秀吉により上総国を没収され、安房一国の領主となる。
慶長19年 1614年 9月、里見忠義、伯耆国移封を命じられる
元和8年 1622年 6月、里見忠義歿し、里見家断絶する。

 足利頼氏

 足利頼氏は小弓御所義明の孫で、幼時安房の石堂寺に住していた。兄国朝は古河公方家を継承し、下野喜連川に住して喜連川氏を称したが、文禄2年(1593)に朝鮮出兵の途路病死し、頼氏が跡を継いだ。江戸時代は5000石ながら高家として遇された。

木造足利頼氏像

木造足利頼氏像
 総高25cm 丸山町・石堂寺蔵
 江戸時代