協力機関・協力者および写真提供者

 今回の企画展開催および、図録作成に際しましては、多くの方々や関係機関に多大な御指導をいただきました。ここに御芳名を記し、その御好意に対し深甚なる謝意を表します。

(順不同・敬称略)
東京国立博物館・国立歴史民俗博物館・奈良国立文化財研究所・千葉県立安房博物館・財団法人千葉県文化財センター・國學院大學考古学資料館・早稲田大学文学部考古学研究室・慶応義塾大学文学部考古学民族学研究室・千葉大学教養学部地理学研究室・鋸南町歴史民俗資料館・富浦町教育委員会・朝夷地区教育委員会・白浜町中央公民館・千倉町中央公民館・丸山町コミュニティセンター・宗教法人総持院
安藤孝一・望月幹夫・伊藤嘉章・阿由葉司・松木恵司・西川博孝・堀部昭夫・渡辺智信・郷田良一・服部哲則・高梨俊夫・今泉潔・青木豊・内川隆志・粕谷崇・桜井清彦・鈴木若雄・田中眞一・諏訪彰義・小原寿雄・嶋田守・吉田裕一・小谷賀雄・岩崎一夫・加藤利・金木幹人・渡辺喜久子・寺田信秀・鈴木尚・君塚文雄・對馬郁夫・小宮義夫・宮沢賢臣

展示資料一覧

(敬称略)

プロローグ

資料名 員数 時代 所蔵(管理)者
館山市城山下出土白磁四耳壷 2 宋・元代 東京国立博物館
〒110 東京都台東区上野公園13-9
姥神発掘諸事控 1 明治時代 岩崎一夫

住まいと暮らし

資料名 員数 時代 所蔵(管理)者
富浦町深名瀬畠遺跡出土縄文土器 2 縄文時代 富浦町教育委員会
〒299-24 安房郡富浦町青木28
同 打製石斧 2
同 磨製石斧 2
館山市赤山遺跡出土玦状耳飾 1 縄文時代 館山市立博物館
〒294 館山市館山351-2
鋸南町田子台遺跡出土弥生土器 3 弥生時代 鋸南町歴史民俗資料館
〒299-19 鋸南町吉浜516
同 石皿 1
千倉町健田遺跡出土土師器 4 奈良時代 朝夷地区教育委員会
〒295 千倉町瀬戸2294
鋸南町下ノ坊遺跡出土木製舟形 1 中世 (財)千葉県文化財センター
〒284 四街道市鹿渡無番地
同 木製片口鉢 1
同 木製円形曲物 1
同 青磁 2
同 白磁 1
同 常滑 1
同 瀬戸 1
同 漆器 1
同 刀子 1
同 掛金具 1
同 硯 1

四季の幸を求めて

資料名 員数 時代 所蔵(管理)者
富浦町大房岬出土石器 10 先土器時代 金木幹人
富浦町深名瀬畠遺跡出土敲石 2 縄文時代 富浦町教育委員会
同 石皿 1
富山町寿薬寺台遺跡出土打製石斧 4 縄文時代 渡辺喜久子
同 磨製石斧 4
同 石皿 1
同 敲石 2
白浜町滝口遺跡出土縄文土器片 12 縄文時代 國學院大學考古学資料館
〒150 東京都渋谷区東4-10-28
同 石鏃類 10
同 骨角器 3
丸山町加茂遺跡出土縄文土器片 27
同 堅果類 6
同 獣骨 5
出土地不明縄文土器 1
館山市鉈切洞穴出土魚骨 30 縄文時代 千葉県立安房博物館
〒294 館山市館山1564-1
同 獣骨 5
同 貝類 22
同 縄文土器 2
同 土器片錘 5
同 貝製品 2
館山市笠名出土石包丁 1 弥生時代 加藤利
館山市作名出土石匙 1 縄文時代 館山市立博物館
館山市稲原貝塚出土黒曜石とイルカ骨複製品 1
館山市千田遺跡出土磨石 1
同 石皿 1
同 石鏃 10
館山市鉈切洞穴出土獣骨 2
館山市赤山遺跡出土弥生土器 2 弥生時代
館山市安房国分寺下層遺跡出土弥生土器 3

神々とのつながり

資料名 員数 時代 所蔵(管理)者
富浦町大半津遺跡出土石棒 1 縄文時代 富浦町教育委員会
富浦町深名瀬畠遺跡出土石棒 1
同 縄文土器(埋甕) 4
富浦町大武佐古墳出土刀子 1 古墳時代
同 鉄鏃 5
同 須恵器 3
富浦町谷東横穴出土須恵器 2
同 土師器 1
鋸南町下ノ坊遺跡出土弥生土器 4 弥生時代 千葉県文化財センター
同 土師器 5 古墳時代
同 須恵器 1
三芳村宝珠院遺跡出土土師器 2
同 須恵器 2
千倉町健田遺跡出土管玉 1 弥生時代 朝夷地区教育委員会
同 ガラス製小玉 3
同 弥生土器 3
白浜町小滝涼源寺遺跡出土土師器 7 古墳時代
同 滑石製模造品 25
同 鉄剣 1
同 石錘 1
同 鹿角製釣針 1
丸山町永野台古墳出土人物埴輪 3
同 円筒埴輪 2
同 管玉 一括
同 丸玉 一括
丸山町永野台古墳出土人物埴輪複製 1 古墳時代 東京国立博物館
富山町恩田原古墳出土円筒埴輪片 2 古墳時代 渡辺喜久子
東京都世田谷区野毛大塚古墳出土円筒埴輪 1 古墳時代 國學院大學考古学資料館
館山市沼つとるば遺跡出土土製模造品 8
館山市大寺山洞窟遺跡出土須恵器 4 古墳時代 宗教法人総持院
〒294 館山市沼1139
同 土師器 3
同 管玉 2
同 短甲片 8
館山市沼つとるば遺跡出土土製模造品 4 古墳時代 對馬郁夫
同 手づくね土器 1
同 土師器 4
鴨川市東上牧遺跡出土七鈴鏡 1 古墳時代 国立歴史民俗博物館
〒285 佐倉市城内町117
同 土師器 1 奈良時代
同 「長者」刻銘土師器 1
同 須恵器 2
同 三彩土器 1
館山市大塚貝塚出土土偶片 1 縄文時代 館山市立博物館
同 縄文土器(異形土器) 1
館山市翁作古墳出土環頭大刀把頭 1 古墳時代
同 圭頭大刀把頭 1
同 直刀 1
同 刀子 1
館山市山本峯古墳出土勾玉 18
同 丸玉 14
同 管玉 2
館山市猿田遺跡出土須恵器 1
同 土製模造品 6
館山市安房国分寺跡出土軒丸瓦 2 奈良時代
同 軒丸瓦複製 1
同 平瓦 4
同 土師器 2
同 「吉」刻銘土師器 1
同 須恵器 2

  出土文字資料

 土器に描かれた文字の内容には、建物・人名・官職・地名・所有・用途などがあるが、「吉」は吉祥を意味するものと考えられる。一個の土器に描かれたわずかな文字も、古代の社会を明らかにし得る重要な資料である。

「吉」銘土師器坏(館山市安房国分寺跡) 奈良時代

「吉」銘土師器坏(館山市安房国分寺跡) 奈良時代

 まぼろしの国分寺
  館山市安房国分寺跡

 古代律令国家が、国家仏教の地方における中心として各地においた寺が国分寺であり、741年(天平13)に聖武天皇が「国分寺建立の詔」を発したのは有名である。

 しかし安房国は、718年(養老2)に上総国から4郡を割いて成立し、741年には併合され、757年(天平宝字元)に再び分立されているため、安房国分寺創建は奈良時代末という説がある。一方で、『続日本記』、『日本後記』、『延喜式』などの文献にみられる安房国関係の記事からは、安房国分寺はなかったようにもとれることから、すでに建てられていた寺を国分寺に充てたのではないかという説もある。

 昭和51年~昭和53年の発掘調査の結果、寺の中心であった金堂の跡と考えられる基壇のみが確認され、軒丸瓦や三彩獣脚などが出土した。上総や下総の国分寺のような伽藍配置をもつ複数の建物跡などは認められず、はじめから国分寺として建てられたかどうかは全く不明である。

軒丸瓦(館山市安房国分寺跡) 奈良時代

軒丸瓦(館山市安房国分寺跡) 奈良時代

平瓦(館山市安房国分寺跡) 奈良時代

平瓦(館山市安房国分寺跡) 奈良時代

  鴨川市東上牧遺跡

 東上牧遺跡は、鴨川市嶺岡の標高200mの山中にあり、七鈴鏡や「長者」銘陰刻の土師器片、三彩宝珠紐蓋、須恵器宝珠紐蓋、銅鋺などが出土している。異様な出土状況や遺物の内容から火葬墳墓跡ではないかという推測がなされたが、遺跡の性格は不明である。

 七鈴鏡は、七鈴のうち四鈴に小さな玉石が入っている青銅製のものである。鈴鏡は古墳時代後期に、毛野すなわち現在の群馬県を中心に流行したが、房総では大変珍しいものである。この鈴鏡を、8世紀代のものである他の伴出遺物と比較すると、奈良時代まで、伝世されていたものだと考えることもできる。

 ところで、館山市沼つとるば遺跡から7世紀代の土製七鈴鏡が出土しているが、この時期は鈴鏡の使用がほぼ終わっている時期であり、東上牧遺跡出土の七鈴鏡が伝世されていたものだすると、安房には鈴鏡使用の「まつり」が残されていたと考えられる。古代の鈴の音には深い謎が秘められているが、解明はこれからというところである。

七鈴鏡(鴨川市東上牧遺跡) 古墳時代

七鈴鏡(鴨川市東上牧遺跡) 古墳時代
国立歴史民俗博物館蔵

土製七鈴鏡(館山市沼つとるば遺跡) 古墳時代

土製七鈴鏡(館山市沼つとるば遺跡) 古墳時代

三彩宝珠紐蓋(鴨川市東上牧遺跡) 奈良時代

三彩宝珠紐蓋(鴨川市東上牧遺跡) 奈良時代
国立歴史民俗博物館蔵

「長者」銘土師器破片(鴨川市東上牧遺跡) 奈良時代

「長者」銘土師器破片(鴨川市東上牧遺跡) 奈良時代
国立歴史民俗博物館蔵

  館山市沼つとるば(大戸入)遺跡

 安房の古代祭祀に使われた土製模造品は、勾玉、丸玉、有紐鏡、有孔円板に手づくね土器が加わる例が最も多い。これらの祭祀遺物は、後世につくられた神社に近い位置で多くが発見されているが、なかには、山腹や低湿地などに一括廃棄されたと思われるものがある。沼つとるば遺跡は後者の代表例で、鈴鏡、有孔円板、勾玉、鐸などの土製模造品などが、谷の中腹から出土した。これらの遺物は、7世紀代に行われた安房忌部氏の「まつり」に関係したもので、鈴鏡、鐸などの音に関係した模造品は、「まつり」の内容を示すものだと考えられる。

土製鐸(館山市沼つとるば遺跡) 古墳時代

土製鐸(館山市沼つとるば遺跡) 古墳時代

土製模造品 有孔円板・有紐鏡・丸玉・勾玉 (館山市猿田遺跡) 古墳時代

土製模造品 有孔円板・有紐鏡・丸玉・勾玉 (館山市猿田遺跡) 古墳時代

  白浜町小滝涼源寺遺跡

 安房の古代祭祀遺跡のうち最古のもので、また他の遺跡とは全く異なる内容をもつ遺跡である。「まつり」の時期は、4世紀中葉から5世紀初頭にかけてで、多数の土師器を中心とした遺物が出土したが、なかでも滑石製模造品の出土は、安房では大変珍しい。鉄剣と玉類の出土は、なんらかの政治的な「まつり」が行われたことを示すが、後には石錘や釣針が用いられていることから、豊漁などを願う民衆の「まつり」へと内容が変化していったと考えられる。

白浜町小滝涼源寺遺跡全景(昭和62年調査)

白浜町小滝涼源寺遺跡全景(昭和62年調査)

土師器高坏(白浜町小滝涼源寺遺跡)古墳時代

土師器高坏(白浜町小滝涼源寺遺跡)古墳時代

石錘(白浜町小滝涼源寺遺跡)古墳時代

石錘(白浜町小滝涼源寺遺跡)古墳時代

 特殊な宗教文化の形成

 『古語拾遺』の『房総開拓神話』に示されているように、安房には忌部氏(いんべし)が集団移住したという伝承があり、神郡を有する安房神社を中心とした祭祀集団が結成され、安房国式内社6座のうち、5座までが忌部氏にかかわる神を祭神としている。  一方安房には、多くの祭祀遺跡が存在し、石製模造品の出土が少なく、土製模造品が多いという特徴から、古代の安房には、一種独特な宗教文化が形成されていたと考えられる。

安房の式内社と祭祀遺跡
安房の式内社と祭祀遺跡

  横穴墓

 横穴墓は、丘陵部の崖面などに横穴を開けて死者の墓としたもので、東上総の一宮川流域や夷隅川流域は全国的にみても、横穴墓が多く分布している地域である。安房でも平久里川・丸山川流域に多く分布しており、多くが7世紀から8世紀代にかけてつくられたものである。

 横穴墓は、基本的に棺を納める玄室と、入口と玄室を結ぶ羨道(せんどう)からなる。入口は閉じられるが、何回か開閉して追葬を行うのが普通で、家族墓としての性格をあらわしている。また、群集するという特徴から、横穴墓は、一地域の共同墓地であったことがわかる。

館山市大井角田横穴墓実測図

館山市大井角田横穴墓実測図

須恵器提瓶(さげべ)(富浦町谷東横穴) 古墳時代

須恵器提瓶(さげべ)(富浦町谷東横穴) 古墳時代