【1】戦国時代の城と生活

 「城」といって誰もが思い浮かべるのは姫路城のような高い石垣のうえに築かれた白亜の大天守閣でしょう。天守閣といえば近世城郭の象徴ですが、それは近世のしかも城内施設のひとつでしかありません。城とは「土」で「成」すと書くように、土を掘り、土を盛って造った防備施設全体の姿をさすものです。戦国時代の城とはまさに土に手を加えて造られたものが主体なのです。

 全国に点在する二万ともいわれる城跡は、そのほとんどが戦国時代のものといいます。戦国時代の城は、軍事拠点としてはもちろん、戦国武将たちの所領支配の拠点として、政治・経済的な役割も重視されてきます。そうしたことから、在地を把握しやすい地点として里に近く比較的高くもない山を選んで築城することが多くなります。そして山の麓には平時に城主や家臣たちの生活の場となる「根小屋」と呼ばれる居住区画もありました。

 そうした戦国時代の城での生活とはいったいどのようなものだったでしょう。城の主や在番の武士たち、また彼らの生活を支えるさまざまな人たちもいたはずです。近年、城跡の発掘調査がさかんに行われ、城郭そのものの姿や当時のさまざまな生活用具、武器、武具を目にすることができるようになりました。ここでは房総里見氏ともゆかりのある下総国葛西城の遺物から、その生活の例を紹介しましょう。

 この城跡から出土しているものには、刀や鉄製の槍先・やじり、鉛の鉄砲玉や鎧の部品、笄・小柄などの武器具があります、しかし意外と城跡から出る遺物には、調理・飲食用に使う陶磁器製の碗や皿が多くあります。国産ばかりでなく高級な白磁・青磁・染付など中国製陶磁器もさまざまな城跡で発見されます。ここでも大量に出ていますが、その他に漆の碗や箸、臼・すり鉢・おろし皿なども出ています。装身具として動物の骨でつくった笄や木製の櫛・根付け・下駄、調度品としての灯明皿、将棋の駒やサイコロなどの遊戯具、当時流行していた喫茶用具としての天目茶碗や茶臼などは、戦闘を離れた時間の生活を浮かび上がらせてくれます。また井戸の石組みの下からは大量の板碑が発見されています。追善供養の石塔のこのような無残な使われかたは葛西城を落とした新城主によるもので、戦国という時代を思い知らせれます。

下総国葛西城跡で掘り出された井戸枠
下総国葛西城跡で掘り出された井戸枠

ごあいさつ

 おかげさまをもちまして、館山市が市立博物館を開館して、今年で10年目を迎えることができました。

 展覧会等の事業の実施や調査活動等に当たりましては、全国のさまざまな方々にご教示ご協力をいただくことで、順調な運営を維持してまいりました。この10年の多大なるご支援に感謝申し上げたいと存じます。

 この度はその10年を記念し、当館が展示・研究のメインテーマとしてまいりました戦国大名里見氏をとりあげ、戦国時代の房総の城について特別展を開催することといたしました。

 海に囲まれ、深い谷が幾重にも縦走する房総半島において、安房国から上総国へと版図を拡大していった里見氏にとっては、領域支配や戦略の上からも、拠点とすべき城を数多く確保することが必要でした。里見氏は自らの居城を数度にわたって移し、また勢力下においた城と武将たちも数多くあります。

 そうした里見氏ゆかりの城と城にまつわる歴史を、近年の戦国城郭の発掘成果も取り入れながら紹介していきます。里見氏の歴史と戦国時代の城について理解する場となれば幸甚です。

 なお、 本展の開催にあたり、多くの方々よりさまざまな情報をいただき、また快く資料の出陳をご承諾いただきました。厚くお礼申し上げます。

平成5年10月16日

館山市立博物館長 松田昌久

凡例

  • この図録は、平成5年10月16日から11月28日までを会期とし、館山市立博物館が主催する特別展「里見氏の城と歴史」の展示図録である。
  • 本書の図版番号と展示室の陳列構成は、レイアウトの都合上必ずしも一致しない。
  • 資料の名称は、展示テーマに従い選定したため指定名称・管理名称とは必ずしも一致しない。
  • 本展の企画、および図録の編集執筆は、学芸員岡田晃司が担当した。