裏表紙

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展示図録No.15
企画展 俳諧三昧
 -俳句がはこぶ江戸文化-
発行 平成16年2月7日
    館山市立博物館
    〒294-0036 館山市館山351-2
    TEL.0470(23)5212

会席の象徴「文台」
<一蓮舎托生筆芭蕉句裏書>
(三芳村御庄 岡崎淳氏蔵)

協力者一覧

 今回の企画展開催および図録作成にあたり、多くの皆様より多大なご協力をいただきました。ここにご芳名を記し、そのご好意に対して感謝の意を表します。

青木茂樹・青木徳雄・秋山嘉男・浅岡力・安西明生・安西節子・安西宥範・生稲謹爾・和泉沢重男・石井治・石井祐輔・井上薫夫・岩波正夫・岡崎淳・大野廣平・加藤定彦・金木賢三・亀田浩・川原晋・神田信示・倉持幸治・黒川邦保・剣持加津夫・斎藤任・佐藤宏武・佐野正夫・座間恒・庄司徹・鈴木孝雄・鈴木方子・鈴木幸男・高梨泰輔・高橋武二・早川正司・堀口角三・牧野宗二・正木高明・谷貝実・山口和生・山口国男・山口敬司・吉田毅・吉田三喜男・利渉義宣・若王子忠男

川名岡日枝神社・皇神社・国司神社・常光寺・大厳院・手力雄神社・那古寺・遍智院・湯浴堂・六所神社・館山市立館野小学校・千葉県立中央図書館・成田山仏教図書館・船橋市西図書館

展示資料一覧

(敬称略)
(会期中に資料の一部入れ替えを行ないます)

【1】江戸の俳諧

資料名 年代 所蔵者
1. 『奥の細みち』 文久2年(1862)写 館山市館山・堀口角三
2. 松尾芭蕉肖像画 文政4年(1821) 丸山町安馬谷・座間恒
3・4. 雉子塚拓本 丸山町沓見・剣持加津夫
5. 『諸国翁墳記』 成田山仏教図書館
6. 蕉門十哲図 館山市上真倉・石井祐輔
7. 海内正風俳家鑑 嘉永5年(1852) 和田町中三原・鈴木孝雄
8. 正風名家鑑 和田町中三原・鈴木孝雄
9. 慶応改正海内蕉風声価集覧 慶応元年(1865) 頃 館山市東長田・安西明生
10. 俳諧名家鑑 慶応2年(1866) 館山市立博物館

【2】俳句でコミュニケーション -俳諧を楽しむ-

資料名 年代 所蔵者
11. 『行脚掟』 館山市東長田・安西明生
12. 『房総旅日記』 弘化4年(1847) 館山市立博物館
13. 安西洗心宛書状 館山市東長田・安西明生
14. 矢立 館山市上真倉・石井祐輔
15. 『総角集』 安政3年(1856) 船橋市西図書館
16. 穂積永機句幅 明治32年(1899) 館山市東長田・安西明生
17. 安西谷水宛書状 館山市東長田・安西明生
18. 道中日記帳 安政3年(1856) 千倉町川戸・川原晋
19. 布良連採点帖 館山市立博物館
20. 引札 館山市船形・正木高明
21. 澹泊園印鑑 千倉町川戸・川原晋
22. 詠草本 安政2年(1855) 千倉町川戸・川原晋
23. 安西谷水詠草 館山市東長田・安西明生
24. 清狂社詠草 館山市東長田・安西明生
25. 免判嗣号免状(下書) 明治32年(1899) 館山市東長田・安西明生
26. 『本式俳諧則』 天保4年(1833) 丸山町安馬谷・座間恒
27. 『一家嵐雪門文台式』 明治19年(1886) 館山市館山・堀口角三
28. 天神名号 天保8年(1837) 館山市立博物館
29. 文台 明治31年(1898) 館山市東長田・安西明生
30. 文台伝来記 明治31年(1898) 館山市東長田・安西明生
31. 引札 和田町中三原・鈴木孝雄
32. 奉納俳諧額 明治3年(1870) 館山市大井・手力雄神社
33. 奉灯集句撰抜句表 明治31年(1898) 館山市東長田・安西明生
34. 引札 館山市東長田・安西明生
35. 御大典記念奉納句額 昭和3年(1928) 館山市沼・国司神社
36. 山本小学校校舎増築紀念俳句聯 明治17年(1884) 館山市立館野小学校
37. 一枚摺り 館山市館山・堀口角三
38. 万里『旦暮帖』 文化12年(1815) 取手市・加藤定彦
39. 短冊 館山市東長田・安西明生

【3】俳諧ネットワーク -安房の俳人たち-

資料名 年代 所蔵者
40. 素丸『歳旦帖』 明和3年(1766) 取手市・加藤定彦
41. 田喜庵護物書状 富浦町深名・常光寺
42. 『梅人句集』 文化4年(1807) 取手市・加藤定彦
43. 『芳春帖』 寛政10年(1798) 館山市立博物館
44. 布良連採点帖 館山市立博物館
45. 安西谷水宛書状 館山市東長田・安西明生
46. 短冊 館山市東長田・安西明生
47. 引札 館山市東長田・安西明生
48. 短冊 館山市小原・山口国男
49. 遠藤雉啄短冊 館山市立博物館
50. 卓郎短冊 和田町中三原・鈴木孝雄
51. 月次句合返草 和田町中三原・鈴木孝雄
52. 一枚摺り 和田町中三原・鈴木孝雄
53. 『杉間集』 文政9年(1826) 千葉県立中央図書館
53. 『雪のかづら』 文政4年(1821) 千葉県立中央図書館
54. 短冊 丸山町安馬谷・座間恒
55. 発句書留帖 文化14年(1817) 丸山町安馬谷・座間恒
56. 奉納俳諧額 文政8年(1825) 富山町高崎・湯浴堂
57. 『房陽郡郷考』 嘉永3年(1850) 千葉県立中央図書館
58. 『国分集安房之部』 弘化3年(1846) 船橋市西図書館
59. 井上杉長肖像画 文政3年(1820) 千倉町久保・井上薫夫
60. 井上杉長書状 富浦町深名・常光寺
61. 『昨露集』 文化13年(1816) 取手市・加藤定彦
62. 『月嶋集』 館山市船形・正木高明
63. 採点帖 館山市立博物館
64. 『月の名残』 万延元年(1860) 千倉町川戸・吉田毅
65. 『松蔭集』 天保15年(1844) 船橋市西図書館
66. 常磐連『春帖』 文化8年(1811) 取手市・加藤定彦
67. 鈴木あや雄夫妻肖像画 明治22年(1889) 館山市上真倉・鈴木方子
68. 『おしまつき』 元治元年(1864) 館山市立博物館
69. 清狂社詠草 館山市東長田・安西明生
70. 御庄連採点帖 三芳村御庄・岡崎淳
71. 久保椿山追善集 明治33年(1900) 和田町中三原・鈴木孝雄
72. 『梅烟集』 明治20年(1887) 和田町中三原・鈴木孝雄
73. 寺谷連採点帖 和田町中三原・鈴木孝雄
74. 『ちなみ集』 明治28年(1895) 和田町中三原・鈴木孝雄
75. 扇面 三芳村御庄・岡崎淳
76. 占魁短冊・聯 富浦町宮本・生稲謹爾
77. 文茂点印譲状 天保14年(1843) 館山市正木・高梨泰輔
78. 高梨文酬肖像画 館山市正木・高梨泰輔
79. 『路米集』 明治41年(1908) 館山市立博物館
80. 路米俳画幅 館山市立博物館
81. 館山市東長田・安西明生
82. 山口すみれ肖像 館山市小原・山口国男
83. 矢立 館山市小原・山口国男
84. 雨葎庵印鑑 三芳村御庄・岡崎淳
85. 師系調査ノート 三芳村御庄・岡崎淳
86. 文台 三芳村御庄・岡崎淳

【4】ネットワークの広がり -前田伯志の登場-

資料名 年代 所蔵者
87. 前田伯志肖像 大正7年(1918) 館山市東長田・安西明生
88. 『明治俳諧百人一首』 明治33年(1900) 取手市・加藤定彦
89. 『俳諧明倫雑誌』第一八二号 明治31年(1898) 取手市・加藤定彦
90. 『館山紀行』 明治24年(1891) 館山市館山・堀口角三
91. 『今様檜笠』 明治31年(1898) 館山市東長田・安西明生
92. 『甲午春館山記行』 明治27年(1894) 館山市館山・堀口角三
93. 『残の雪』 明治40年(1907) 館山市館山・堀口角三
94. 『房の栞』 明治35年(1902) 館山市館山・堀口角三
95. 人名録出詠者名簿 館山市館山・堀口角三
96. 蹄雪庵興行俳諧之連歌懐紙 明治35年(1902) 館山市東長田・安西明生
97. 『雪の松』 明治34年(1901) 館山市館山・堀口角三
98. 松の花四吟 明治34年(1901) 館山市東長田・安西明生
99. 伯志門人写真 大正3年(1914) 館山市東長田・安西明生
100. 立机披露案内状 大正4年(1915) 館山市東長田・安西明生
101. 伯志追福連歌会懐紙 大正9年(1920) 館山市東長田・安西明生

【5】近代俳句のはじまり

資料名 年代 所蔵者
102. 短冊 館山市北条・石井治
103. 安房盟楠会歓迎会写真 昭和9年(1934年) 館山市北条・石井治
104. 高橋蒼々子肖像 松戸市樋野口・高橋武二
105. 短冊 松戸市樋野口・高橋武二
106. 内藤鳴雪句幅 松戸市樋野口・高橋武二
107. 高橋蒼々子俳画幅 松戸市樋野口・高橋武二
108. 蒼々子画大野木聖句幅 館山市小原・大野廣平
109. 色紙 館山市北条・石井治
110. 斎藤光雲画臼田亜波句幅 館山市北条・石井治
111. 傘寿記念奉納額 昭和5年(1930) 館山市川名・日枝神社
112. 『安房名勝俳句集』 昭和5年(1930) 千葉県立中央図書館
113. 短冊 館山市船形・正木高明

安房地方の俳諧年表

西暦 年号 主な出来事
1766年 明和3年 江戸の其日庵三世素丸の『旦暮帖』に安房の6連の句が載る
1787年 天明7年 平郡本織村(三芳村)の関口瑞石、句集『竹の友』を刊行
1790年 寛政2年 5 平郡元名村(鋸南町)の岩崎児石、日本寺に其日庵二世馬光の句碑を建立し、五十回忌取越し追善集『霞の碑』を刊行
7 朝夷郡平磯(千倉町)の砂旭、杉風著の『冬かづら』を復刻。砂旭の追善集『続冬かづら』も同時刊行
1793年 寛政5年頃 本織村の関口瑞石、二世白兎園宗瑞社中の竹之友連で平郡亀ヶ原村(館山市)の新御堂に芭蕉句碑を建立
1802年 享和2年 朝夷郡平磯村(千倉町)観養院の宗拱、境内に江戸の俳人で師である採茶庵梅人の一周忌に梅人塚を建立
1803年 享和3年 朝夷郡久保村(千倉町)の井上杉長、師採荼庵梅人の遺句集『水の音』を刊行
1806年 文化3年 小林一茶、平郡勝山村(鋸南町)の醍醐買明のもとへ逗留
1807年 文化4年 平磯村の山口郁賀・観養院宗拱、句集『花声集』を刊行
久保村の井上杉長・平磯村の山口郁賀・観養院宗拱、朝夷郡安馬谷村(丸山町)の芝英園莫非ら安房の門人が、師梅人の遺句集『梅人句集』を刊行
1809年 文化6年 6 勝山村の呂風、朝夷郡大井村(丸山町)の大徳院に芭蕉句碑を建立し、句集『苔むしろ』を刊行
1811年 文化8年 1 長狭常磐連の『春帖』刊行
1815年 文化12年 11 小林一茶、勝山・久保・本織・保田を遊歴し、井上杉長などと交流する
1816年 文化13年 久保村の井上杉長・安房郡岡田村(館山市)の其則、朝夷郡川合村(千倉町)地蔵院の也草遺句集『昨露集』を編む
1817年 文化14年 4 小林一茶、保田・本織・久保・本織・勝山を遊歴し、杉長の瓢庵で句座をもつ
1818年 文政1年 天津村出身の遠藤雉啄が、相模国大磯の俳諧道場鴫立庵の九世庵主となる
1822年 文政5年 3 安馬谷村の竹由、村内の福性院に師井上杉長の句碑を建立
1823年 文政6年 平磯村の観養院宗拱が編んだ句集『摩尼屑』が、宗拱七回忌にあわせて山口郁賀の校正で刊行される
朝夷郡平館村(千倉町)石井平雄、安馬谷村の竹由の句集『竹由発句集』を編む
安房郡竹原村(館山市)の彡戒・安房郡山本村(館山市)の文守・朝夷郡白浜村(白浜町)の里遊ら、平郡那古寺(館山市)に芭蕉句碑を建立
1825年 文政8年 12 平郡不入斗村(富山町)の心画、同郡船形村(館山市)大福寺の臥猪庵露守を撰者として村内の湯浴堂に句額を奉納
1827年 文政10年 2 旭守が催主となり、平郡金尾谷村(富浦町)の雨律庵文茂の撰で、同郡宮本村(富浦町)不動堂に句額を奉納
3 平郡大崩村(鋸南町)満蔵寺の買風、境内に江戸の俳人で師である其日庵三世素丸の句碑を建立し、『稲碑集』を刊行
1832年 天保3年 平郡市井原村(鋸南町)が催主となり、村内の八幡神社に五世雪中庵対山の撰で句額を奉納
1833年 天保4年 井上杉長の門人平館村の石井平雄・朝夷郡千田村(千倉町)の長性寺方壺ら、朝夷郡野島崎(白浜町)に杉長墳と芭蕉句碑を建立
1836年 天保7年 6 長狭郡磯村(鴨川市)の尾崎橘叟、北風原村(鴨川市)の安国寺に芭蕉句碑を建立
1840年 天保11年 3 磯村の尾崎鳥周(橘叟)、常磐連で仁右衛門島に芭蕉句碑を建立
1841年 天保12年 11 小戸連・沼連(ともに和田町)などが、沼蓮寺に七浦庵三斎の三回忌句碑を建立
1844年 天保15年 11 磯村の尾崎鳥周、選集『松蔭集』を刊行
1845年 弘化2年 卜山・翠斎が長狭郡西野尻村(鴨川市)の蓮華院に芭蕉句碑を建立
1846年 弘化3年 10 笠栖素行、安房の俳人208人の名簿を載せた『国分集 安房之郡』を刊行
1850年 嘉永3年 木更津の鳥海酔車、『房陽郡郷考』を刊行し、安房の俳人151人の句を掲載
1851年 嘉永4年 平郡千代村(三芳村)の錦二が催主となり、平郡山下村(三芳村)の百羅漢苔年の撰で、千代村皇神社に句額を奉納
1860年 万延1年 朝夷郡川戸村(千倉町)文殊院の竹坡、同村の師吉田閑々の追善集『月の名残』を編む
1863年 文久3年 3 平郡正木村(館山市)の高梨文酬、村内の諏訪神社に丘連で芭蕉句碑を建立
1864年 元治1年 7 安房郡館山町(館山市)の鈴木あや雄の一周忌に、老梅居中で追善集『おしまつき』を刊行
1867年 慶応3年 6 平郡佐久間中村(鋸南町)の青柳らが、七世雪中庵鳳州の撰で同村日枝神社に句額を奉納
1870年 明治3年 2 平郡小原村(館山市)の山根路行が催主となり、安房郡大井村(館山市)の手力雄神社に句額を奉納
1871年 明治4年 6 平郡佐久間中村(鋸南町)の花鳥ら、長狭郡広場村(鴨川市)の久保椿山らの撰により佐久間中村の密厳院に句額を奉納
1877年 明治10年 10 平郡大崩村(鋸南町)の鈴木亀甲、村内に芭蕉句碑を建立
1881年 明治14年 10 安房郡大網村(館山市)の孝山ら、平郡宮本村(富浦町)の平島占魁らの撰により村内大巌院に句額を奉納
1882年 明治15年 3 小原村の山口路米ら、高梨文酬の追善集『ちなみ集』を刊行
1884年 明治17年 9 朝夷郡小向村(和田町)の嘉一ら、中三原村(和田町)角田江斎の撰で同村正勝神社に句額を奉納
1885年 明治18年 10 長狭の●連で長狭郡宮山村(鴨川市)の宮山神社に芭蕉句碑を建立
1886年 明治19年 4 長狭郡平塚村(鴨川市)の大田代連で、村内に芭蕉句碑を建立
5 安房郡白浜村(白浜町)野島崎に芭蕉句碑が再建される
1887年 明治20年 安房郡稲村(館山市)の山口梅寿、古稀選集『梅烟集』を刊行
1889年 明治22年 4 那古町小原(館山市)の山口路米を中心に、安房地方の俳人140名により那古寺に芭蕉句碑を建立
1891年 明治24年 1 長狭の●連で由基村上小原(鴨川市)の白滝不動に芭蕉句碑を建立
1895年 明治28年 3 南三原村中三原(和田町)の角田江斎の子、江斎の三回忌追善集『ちなみ集』を刊行
6 東京の俳人前田伯志、館山町に庵を構える
那古町小原の山口すみれ、立机祝の句集『八重葎集』を刊行
1897年 明治30年 3 佐久間村(鋸南町)の吉田梅学ら、東京の五世夜雪庵金羅の撰により上佐久間の密厳院に句額を奉納
1900年 明治33年 2 佐久間村の田村作二郎、東京の八世其角堂機一・聴雨窓竹冷の撰で中佐久間の八幡神社に句額を奉納
東条村広場(鴨川市)の久保椿山の子、椿山の三回忌追善集を刊行
1901年 明治34年 豊房村岡田(館山市)の山口松寿、立机祝選集『雪の松』を刊行
1902年 明治35年 5 前田伯志、366人の安房地方俳士名簿を載せた選集『房の栞』を刊行
11 九重村竹原(館山市)の須田柳志、東京の五世夜雪庵金羅・松菊庵乙年女の撰により、神戸村大神宮の小塚大師に句額を奉納
1907年 明治40年 1 前田伯志、喜寿祝の選集『残の雪』を刊行
1980年 明治41年 8 那古町小原の山口路米、喜寿祝の選集『路米集』を刊行
1916年 大正5年 10 佐久間村の哲堂ら、東京の八世其角堂機一・那古町小原の山口すみれ等の撰により中佐久間の八幡神社に句額を奉納
1920年 大正9年 11 館山町上真倉(館山市)の妙音院で前田伯志の追福連歌会開催
1921年 大正10年 8 高橋蒼々子・斎藤光雲・石井陵雪ら、『石楠』支部の安房盟楠会を結成
1927年 昭和2年 3 大正地震後の安房盟楠会復活一周年記念句集『海松(みる)』を刊行
1930年 昭和5年 5 那古町小原の山口すみれ、門葉人名録を兼ねた選集『傑作集』を刊行
1931年 昭和6年 8 主基村成川(鴨川市)の松川泰山子、『安房名勝俳句集』を刊行
1942年 昭和17年 2 安房神社で大東亜戦争完遂祈願俳句献詠式が行なわれる
1948年 昭和23年 11 館山市第一回文化祭の俳句大会が北条の金台寺で開催され、50人が参加
1950年 昭和25年 館山市俳句連盟結成

その他の主な安房の俳人

【二世香月園逸民】 遠藤林兵衛。安房郡御庄村(三芳村)の人。山口梅寿から香月園を継ぐ。

【勺菴宇明】 井上四郎兵衛。朝夷郡久保村(千倉町)の人。井上杉長の娘婿で、門人。

【陶々舎延年】 朝夷郡宇田村(千倉町)の人。幕末から明治初頭にかけて作品がある。

【乙亥】 安房郡長須賀村(館山市)の人。平館村元亥の弟。幕末から明治前半に作品がある。

【三世香月園魏道】 押元馬太郎。安房郡竹原村(館山市)の人。玉泉堂、のち遠藤逸民より香月園を譲られる。

【二世自在庵玉壺】 西森久嗣。平郡金尾谷村(富浦町)の人。明治初頭から中期にかけて作品がある。

【吟風】 万屋宇兵衛。朝夷郡丸本郷村(丸山町)の人。文政から嘉永頃に作品がある。

【孝梅園金呂】 高木金吾。安房郡高井村(館山市)の人。医師。済安と号す。幕末の医師高木抑斎の父。文政から弘化頃に作品がある。

【ト景園月舟】 正木貞蔵。天保8年(1837)、平郡船形村(館山市)生まれ。世襲名主。水光亭とも号す。明治35年、北下台館山公園に隠棲。大正5年(1916)4月24日没。80歳。円明院金剛智體大居士。

【墨耕舎故山】 亀屋吉五郎。平郡船形村(館山市)の人。文政8年(1825)の高崎湯浴堂の奉額に絵を描いている。

【柞枝】 座間善三郎。朝夷郡安馬谷村(丸山町)の人。名主。井上杉長の門人。天保11年(1840)3月4日没。彗光明量居士。

【四世昂々堂杉甫】 和田市太郎。文久3年(1863)、朝夷郡岩糸村(丸山町)生まれ。加瀬成文から昂々堂を継ぎ、のち長男萍村に譲る。昭和5年(1930)4月5日没、78歳。昂堂杉甫居士。辞世「南無あみた仏と木の実や飛て行」

【只青庵児石】 岩崎善右衛門。平郡元名村(鋸南町)の人。世襲名主。咄々庵とも称す。其日庵二世長谷川馬光・三世溝口素丸の門人。寛政2年(1790)、日本寺に馬光句碑を建立し、五十回忌取越しの追善集『霞の碑』を刊行。文化9年(1812)9月3日没。白屋児石居士。

【二世昂々堂白麿】 丸治郎左衛門。朝夷郡岩糸村(丸山町)の人。素兆の門人。昂々堂を継ぐ。辞世「夕栄や蓮の浮き葉のうき心」

【鏡湖庵瑞石】 関口玄琳。平郡本織村(三芳村)の人。医師。江戸の二世白兎園宗瑞の門人。竹之友連主宰。寛政5年(1793)頃、亀ヶ原の新御堂に竹之友連で芭蕉百回忌にあわせて芭蕉句碑<陰徳塚>を建立。文化年間に一茶の訪問を受ける。天明7年(1787)に『竹の友』、同9年に『島の遊』刊行。この頃武蔵に住し葛飾北斎と交友する。のち馬適と改める。高崎湯浴堂の文政8年(1825)句額に名がみえる。

【鋸麓園檉斎】 岩崎泰輔。平郡元名村(鋸南町)の人。名主・医師。明治14年(1881)没。91歳。

【独嘯坊叟阿】 出身地不明、明和6年(1769)生まれ。平郡小保田村(鋸南町)円照院に住す。文化14年(1817)、越後・信濃を遊歴。天保9年(1838)11月26日没、70歳。風流阿覚信士。

【素共】 油屋和七。朝夷郡宮下村(丸山町)の人。文化14年(1817)に勝山まで小林一茶に会いに行っている。

【百羅漢苔年】 平郡山下村(三芳村)の人。嘉永4年(1851)に千代村(三芳村)皇神社の奉額の撰者を務める。

【二世澹泊園竹坡】 法印頼充。文政10年(1827)、朝夷郡川戸村(千倉町)生まれ。文殊院十三世の修験。権大僧都。閑々より澹泊園を譲られる。安政3年(1856)西国へ遊歴。文久2年(1862)7月17日没、36歳。

【三友堂椿園】 景山氏。安房郡薗村(館山市)の人。弘化から明治初期に作品がある。

【臥猪庵露守】 船形村(館山市)大福寺住職。俳諧は江戸の田喜庵護物に師事。詳細不詳。弘化3年(1846)の『国分集』では「亡人」とされる。

【汀月】 奈良屋八右衛門。朝夷郡真浦村(和田町)の人。文政から嘉永頃に作品がある。

【大黒庵宜明】 醍醐新兵衛。平郡勝山村(鋸南町)、元文2年(1737)生まれ。醍醐新兵衛明定の子。名は定恒。勝山藩大名主。御徒士格。代々鯨漁醍醐組の元締めを勤める。俳諧は葛飾派。文化3年に一茶が逗留。文化12年(1815)1月9日没。79歳。保寿院桂癸日芳居士。

【三才洞百羅】 法印宥範、通称山下玄門。平郡山下村(三芳村)、安永元年(1772)生まれ。福沢姓。山下村の玄門山無量院(大福院)七世の修験。大僧都。医師。天保4年(1833)に62歳で江戸へ出て館山藩の侍医となる。同村の為仙より百羅の号を譲られる。のち蓼叟と改める。安政2年(1855)没、84歳。

【四世瓢庵文園】 小柴為次郎。明治7年(1874)、朝夷郡前田村(丸山町)生まれ。明治30年頃に牧野菊由から瓢庵を継ぐ。のち久保(千倉町)の尾崎杉嶺に譲って、嶺南居と称す。昭和16年(1941)7月3日没。68歳。弘尚院楽心浄為居士。

【山池菴鳳山】 池田氏。平郡那古村(館山市)の人。薬店佐野屋主人。明治22年に芭蕉二百回忌を山月楼で行なったときに、一蓮舎託生から伝授を受けて文台執筆を務める。

【木章】 鈴木道順。寛政7年(1795)、平郡谷向村(三芳村)生まれ。名主・医師。漢詩人鱸松塘の父。嘉永頃に江戸で遠江国浜松藩の井上正直に医師として仕える。明治2年(1869)7月18日没。75歳。修斎院道順日意居士。

【三世七浦庵鸞山】 座間貞善。朝夷郡小川村(和田町)の人。中三原村(和田町)正文寺二十五世。明治17年(1884)に犬掛日宣寺より入寺。鷲月道人とも称す。角田江斎より七浦庵を嗣ぐ。昭和3年(1928)4月28日没。本寿院日乂上人。

【路行】 山根保八。平郡小原村(館山市)の人。幕末から明治期に作品がある。

【呂風】 平郡勝山村(鋸南町)の人。盲目の俳人。文化6年(1809)に朝夷郡大井村(丸山町)の大徳院に芭蕉句碑を建立。建碑を記念して句集『苔莚』を刊行。

54.延年短冊   座間恒氏蔵

54.延年短冊   座間恒氏蔵

48.路行短冊   山口国男氏蔵

48.路行短冊   山口国男氏蔵

113.月舟短冊   正木高明氏蔵

113.月舟短冊   正木高明氏蔵

 <安房盟楠会>

 高浜虚子に学んだ臼田亜浪が主宰した俳誌『石楠』は、自然や生活事象を主観を通して表現する純正俳句を標榜していました。いち早く『石楠』に参加した蒼々子は、前田伯志のもとに集まっていた光雲・陵雪らと大正10年、安房盟楠会を結成して新派の俳句革新運動をはじめました。江見町の大川丹沙郎・和田町の吉川鬼洗のほか、旧派の宗匠だった国府村の見月路白なども加わり、安房地方の中心的な俳句結社になります。昭和2年に刊行した句集『海松{みる}』は、その活動を広く安房全域に知らしめました。

103.安房盟楠会歓迎会写真 昭和9年(1934)  石井治氏蔵

103.安房盟楠会歓迎会写真 昭和9年(1934)  石井治氏蔵

臼田亜浪を館山に迎えた際の記念写真。前列左から山田房山人・高木帰山洞・石井几輿子・斎藤光雲・臼田亜浪・高橋蒼々子・西宮六白子・石井富峯、後列に旧派宗匠だった観月而吟・鈴木雪嶺がいる。

104.蒼々子肖像   高橋武二氏蔵

104.蒼々子肖像   高橋武二氏蔵

【高橋蒼々子】 高橋信。明治20年(1887)、安房郡館山上町(館山市)生まれ。安房銀行頭取高橋千之輔の長男。祖父文平周行(ちかつら)は館山藩勘定方、公用人。大正2年、東京美術学校西洋画科を卒業し、帰郷。同年『南柯(なんか)』同人となり内藤鳴雪に師事。のち臼田亜浪の『石楠(しゃくなげ)』に移り、幹部となる。帰郷後旧派の句会に参加し、しばしば閑骨と号す。大正10年(1921)、石楠支部の安房盟楠会結成。安房農業水産学校教師、昭和6年(1931)松戸高等女学校へ転任。松戸で昭和34年(1959)12月4日没、73歳。敬信院蒼海至道居士。

102.亜浪短冊   石井治氏蔵

102.亜浪短冊   石井治氏蔵

46.臼田亜浪短冊   安西明生氏蔵

46.臼田亜浪短冊   安西明生氏蔵

105.蒼々子短冊   高橋武二氏蔵

105.蒼々子短冊   高橋武二氏蔵

106.内藤鳴雪句幅 蒼々子男児誕生祝   高橋武二氏蔵

106.内藤鳴雪句幅 蒼々子男児誕生祝   高橋武二氏蔵

107.蒼々子俳画幅   高橋武二氏蔵

107.蒼々子俳画幅   高橋武二氏蔵

108.蒼々子画 大野木聖(太平)句幅   大野廣平氏蔵

108.蒼々子画 大野木聖(太平)句幅   大野廣平氏蔵

109.斎藤光雲色紙  石井治氏蔵
109.斎藤光雲色紙  石井治氏蔵

【斎藤光雲】 斎藤喜市。明治13年(1880)、長狭郡大幡村(鴨川市)生まれ、吉尾村村長永井右平次の二男。天津の斎藤家の養子となる。東京済生学舎に入学し、明治45年館山新井に眼科病院を開業。のち長須賀に移転。はじめ伯志門人。のち安房連楠会に参加。『石楠』同人。大正13年安房美術会を創設し、のち会長となる。戦後、館山市俳句連盟を創設する。昭和51年(1976)1月25日日没、96歳。賢徳院光雲日喜居士。蓮幸寺に墓と句碑がある。
「雪の富士まともに落花舞ふところ」

46.光雲短冊   安西明生氏蔵

46.光雲短冊   安西明生氏蔵

110.光雲画 臼田亜浪句幅   高橋武二氏蔵

110.光雲画 臼田亜浪句幅   高橋武二氏蔵

48.観月短冊   山口国男氏蔵

48.観月短冊   山口国男氏蔵

【観月而吟】 見月初五郎。明治5年(1872)、平郡川田村(三芳村)生まれ。雨葎庵路米の門人で、はじめ観月庵路白と号し旧派の宗匠として活動する。のち安房盟楠会に加わって刀衣と改め、さらに而吟と称す。昭和22年(1847)11月14日没。76歳。観月院路白而吟居士。

102.亜浪短冊(陵雪追悼)   石井治氏蔵

102.亜浪短冊(陵雪追悼)   石井治氏蔵

102.陵雪短冊   石井治氏蔵

102.陵雪短冊   石井治氏蔵

【石井陵雪】 石井真太。明治9年(1876)、安房郡山荻村(館山市)生まれ。石井三朶花の子孫。館山下町に歯科医院を開業。伯志門人、大正4年立机。花月菴。のち安房盟楠会に参加。『石楠』同人。大正12年(1923)9月1日関東大震災で死去。48歳。石眞院仁応陵雪居士。辞世「心葉生くるのみ高原の旱り草」。長男は俳人の石井潔(几輿子)。『石楠』同人。館山市俳句連盟の初代会長となる。昭和34年(1959)11月21日没。64歳。玉厳院慈潔禅洞居士。潔の長男眞が、昭和37年11月に句集『山荻(石井家三代)』を刊行。

110.石井几輿子色紙   石井治氏蔵

110.石井几輿子色紙   石井治氏蔵

111.傘寿記念奉納額 昭和5年(1930)  日枝神社蔵

111.傘寿記念奉納額 昭和5年(1930)
 日枝神社蔵

 船形町川名(館山市)の俳人川名竹香が八十歳を記念して奉納したが、絵は斎藤光雲、祝句は旧派の宗匠山口すみれによる共同作業。

112.『安房名勝俳句集』  千葉県立中央図書館蔵

112.『安房名勝俳句集』
 千葉県立中央図書館蔵

長狭の俳人松川泰山子が昭和5年に刊行した選集。郡内の名所28か所を安房の新派俳人40人が詠んだ郷土顕彰の句集。

【5】近代俳句のはじまり

 明治20年代になると、それまでの宗匠を中心とした権威主義の俳諧を否定して、俳席での互選形式を取り入れた新しい俳句運動がおこりました。その中心になったのが正岡子規です。その俳句流派は日本派と呼ばれ、旧来の月次句合を月並調(陳腐)として攻撃し否定しました。

 安房地方でこの近代俳句の動きが興るのは遅く、伯志の影響力もあってか、大正に入ってからのことでした。その運動の中心にいたのが館山町の高橋蒼々子です。東京で日本派の長老内藤鳴雪に師事した蒼々子は、帰郷してから伯志を中心とした旧派の句会に参加していたものの、大正9年の伯志没後、斎藤光雲や伯志門下の石井陵雪などを中心として、臼田亜浪の『石楠(しゃくなげ)』支部である「安房盟楠会」を結成し、安房に新風を吹き込みました。

 <伯志門下>

 【華堂松寿】 山口桂次郎。嘉永2年(1849)、安房郡岡田村(館山市)生まれ。伯志の門人。明治34年(1901)、伯志の師村岡黒駱の前号華堂を嗣ぐ。華堂二世。同年、嗣号立机祝の選集『雪の松』を刊行。明治45年(1912)4月没。64歳。松寿寶算居士。大正4年に立机した伯志門人の長男貞之助(松志)が、華堂三世を嗣ぐ。昭和16年(1941)9月27日没、63歳。義範忠道居士。墓は西光寺。

46.松寿短冊   安西明生氏蔵

46.松寿短冊   安西明生氏蔵

97.松寿立机祝選集『雪の松』   堀口角三氏蔵

97.松寿立机祝選集『雪の松』   堀口角三氏蔵

98.松寿立机祝の連歌「松の花四吟」

98.松寿立机祝の連歌「松の花四吟」
 安西明生氏蔵

99.伯志門下の俳人たち 大正3年(1914)  安西明生氏蔵
99.伯志門下の俳人たち 大正3年(1914)  安西明生氏蔵

前列右から山口松志・鈴木雪嶺・前田伯志・安西洗志・石井陵雪、後列右から中岡羅光・安西参察・安西雪原。

100.伯志門下五氏立机披露案内

100.伯志門下五氏立机披露案内
 大正4年(1915)  安西明生氏蔵

46.洗志短冊   安西明生氏蔵

46.洗志短冊   安西明生氏蔵

【蕉雨亭洗志】 安西周治。文久元年(1861)、安房郡東長田村(館山市)生まれ。安西甚右衛門(谷水)の長男。安房郡役所書紀。豊房村村長。はじめ洗心と号す。のち伯志の門人となって大正4年(1915)に立机し、洗志と改める。大正13年(1924)8月23日没、62歳。洗志本覚居士。辞世「閼伽水と化したる庭の雪達磨」。伯志が所蔵していた資料の多くを洗志が受け継いでいる。

46.松志短冊   安西明生氏蔵

46.松志短冊   安西明生氏蔵

46.雪嶺短冊   安西明生氏蔵

46.雪嶺短冊   安西明生氏蔵

【不尽菴雪嶺】 鈴木朝次郎。明治16年(1883)、安房郡西長田村(館山市)生まれ。豊房村村長。伯志の門人、大正4年に立机。昭和41年(1966)9月9日没、84歳。自彊院雪嶺朝映居士。

46.陵雪短冊   安西明生氏蔵

46.陵雪短冊   安西明生氏蔵

101.伯志追福連歌会懐紙 大正9年(1920)
  101.伯志追福連歌会懐紙 大正9年(1920)  安西明生氏蔵

【4】ネットワークの広がり -前田伯志の登場-
 <前田伯志>

 明治20年代になって安房地方が保養地として知られるようになると、政治家や文化人などの来遊が多くなり、東京から転居をしてくる人々も現れてきました。明治28年(1895)に館山へ移住してきた東京の俳人前田伯志もそのひとりです。伯志は明治31年に都新聞が行なった俳諧十傑の全国投票で第九位に選ばれた俳豪で、大家に数えられる人物でした。明治33年刊行の『明治新撰俳諧百人一首』や明治45年の『明治俳家之俤』にも紹介されています。

 初めて館山へ来遊したのは明治24年(1891)で、館山の北下台で下宿を営んでいた知友の金近虎之丞を訪ねてきたものでした。明治27年にも再度来遊すると、その翌年には館山に庵を構え定住してしまいます。知名度の高い俳人の来住は、安房の俳人たちの関心を集め、指導を乞う人たちが伯志の周りに集まりました。やがて安房地方の俳人の交流を深めるため、360人に及ぶ安房の俳人名簿がつくられ、俳人のネットワークが広がっていくことになりました。

87.前田伯志肖像  安西明生氏蔵
87.前田伯志肖像  安西明生氏蔵

【蹄雪庵伯志】 前田國橘。天保元年(1830)生まれ。幕府旗本で、御馬医。戊辰戦争で上野・函館を転戦したのち、明治5年頃に新政府の陸軍獣医官になる。西南の役に従軍し、明治19年退官。三等獣医正、従七位。公務で各県の名所旧跡を巡る。

 俳諧は天保13年(1842)、雪門の暉雪庵村岡黒駱の門に入り、その没後村岡三曜に師事。文久2年(1862)5月、納涼の一題をもって一日三千句を独吟し、免判に列す。節句庵と称す。函館から戻って横浜に閑居し、この頃に其角門の甘雨亭介我に学ぶ。東都一家嵐雪門を起こし明治元年に没した師三曜の後を受け、一派の棟梁を嗣ぐ。のち東京本所に住し、明治20年1月に浅草西鳥越に転居。明治24年に館山へ来房。明治28年(1895)秋に館山三十番地(館山市上須賀)に庵を構える。明治37年本籍を館山に移す。明治35年安房地方俳士名簿を載せた『房の栞』刊行。明治40年喜寿祝の選集『残の雪』刊行。大正9年(1920)5月28日没、91歳。東京での門人に無心庵大竹葩雪・三世不黒庵雨宮卓堂などがいる。

89.『俳諧明倫雑誌』第182号

89.『俳諧明倫雑誌』第182号 明治31年   
 加藤定彦氏蔵

 都新聞が行なった俳諧十傑の評論が掲載されている。上位20名に東京の宗匠が並ぶなかの9位に「安房蹄雪庵伯志」とある。論評には「現職にこそなけれ将軍たれば、此勝算はものの数にもあらざるべし」と、当然の入選と評価されている。このときの賞品が写真29の文台である。

88.『明治新撰俳諧百人一首』 明治33年(1900)

88.『明治新撰俳諧百人一首』 明治33年(1900)   
 加藤定彦氏蔵

90.伯志の『館山紀行』   堀口角三氏蔵

90.伯志の『館山紀行』   堀口角三氏蔵

48.伯志短冊   山口国男氏蔵

48.伯志短冊   山口国男氏蔵

46.伯志短冊   安西明生氏蔵

46.伯志短冊   安西明生氏蔵

81.伯志撰句聯   安西明生氏蔵

81.伯志撰句聯   安西明生氏蔵

92.伯志の『甲午春館山記行』

92.伯志の『甲午春館山記行』
 明治27年(1894) 堀口角三氏蔵

91.『今様檜笠』 明治31年   堀口角三氏蔵

91.『今様檜笠』 明治31年   堀口角三氏蔵

 明治時代の俳諧師を風刺した伯志の作品。薄識をうわべの風流で覆う地方の発句点取の宗匠や、それを承知で遊歴し寄食する俳諧師、一般からの作句の添削料や染筆料を取り決めて営業する東京の大家などが批判の対象になっている。東京での謝礼規約に反発して館山に隠棲したのが伯志であるが、安房では連句のできる俳人が少なく、発句の点取ばかりだと嘆いている。

93.前田伯志喜寿選集『残の雪』

93.前田伯志喜寿選集『残の雪』
 堀口角三氏蔵

94.『房の栞』  堀口角三氏蔵
94.『房の栞』  堀口角三氏蔵

 『房の栞』は、佳作を耳にしても作者がわからず風交に不便なことを嘆いた85歳の老俳、稲村の山口梅寿が企画し、伯志の名の下に安房国内366人の作を集め俳人名簿を作成した。明治35年(1902)。この頃は安房郡内の統一的な動きが活発だった。

96.蹄雪庵興行俳諧之連歌懐紙

96.蹄雪庵興行俳諧之連歌懐紙
 安西明生氏蔵

伯志は安房では連句に力を入れた。

95.人名録出詠者名簿  安西明生氏蔵

95.人名録出詠者名簿  安西明生氏蔵
(俳士名簿原稿)

 <師号を嗣ぐ>

 俳諧の世界でも、師匠が使用していた号を門人が譲られ、あるいは数代にわたって受け継ぐことで、師の教えを継ぎ系譜をつないでいくことが行なわれていました。ここでは雨葎庵という安房の俳系を紹介します。

77.吉田文茂点印譲状 天保14年(1843年)  高梨泰輔氏蔵
77.吉田文茂点印譲状 天保14年(1843)  高梨泰輔氏蔵

《雨葎庵》 写真77の譲状は、平磯の摩尼窟宗拱が師の二世採荼庵梅人に、元禄の頃から伝わる「芭蕉葉」と「如玉園」の印を与えられ、それが雨葎庵其杖へ、そして文茂へと譲られ、さらに文酬と梅居へ分け与えられたことを伝えている。これはそのまま彼らの師系を表すもので、<雨葎庵>はその後文酬の系統へと受け継がれ、昭和中期まで六世続いた。

【南無庵其杖】 法印宥観。伊勢国桑名生まれで粕谷姓と伝え、京都で医学を修めたのち、安房郡安布里村(館山市)に住し、牛頭天王別当八雲山三覚院の修験になったという。三覚院は三上姓。権大僧都。眼医師。俳諧は江戸の五世太白堂桃雪、平磯村観養院の宗拱に師事。はじめ雨葎庵、のち南無庵。墓は八坂山神社境内。辞世「■くら山■見る■無事寒の明」

【二世雨葎庵文茂】 吉田織右衛門。安永9年(1780)、平郡金尾谷村(富浦町)生まれ。吉田喜右衛門の子。安布里村の南無庵其杖に師事。雨葎庵を継ぎ、のち松蔭斎と号す。万延1年(1860)3月3日没。81歳。法然文茂居士。辞世「死んたとて何処へも行かす花の山」

【一香舎梅居】 平島氏。平郡大津村(富浦町)の人。名主。屋敷を梅田屋敷と称される。文茂の門人。はじめ一香舎梅居と称し、のち白梅居香雪と称す。安政3年(1856)に一円窓欣月の『総角集』に跋文を書く。辞世「余念なく鶯聞て眠りけり」。明治42年(1909)に大津の小滝香栄(孫次郎)が二世白梅居を嗣ぐ。

45.高梨文酬書状(門人路米の様子を伝えている)  安西明生氏蔵
45.高梨文酬書状(門人路米の様子を伝えている)  安西明生氏蔵

【三世雨葎庵文酬】 高梨泰助。平郡正木村(館山市)、享和元年(1801年)生まれ。高梨信左衛門の子。医師。瘤類の治療に巧みで、瘤医者と称される。祖父亘も長崎・大坂で医学を学んだ医師。俳諧は金尾谷村の文茂に師事。はじめ桂菴。のち文茂より雨葎庵を受け継ぐ。弘化3年(1846)、為誰庵由誓とともに『国分集安房之部』の序を記す。嘉永4年(1851)雨葎庵を山口路米に、桂庵を鶴谷八幡宮神官の馨林(武内伊勢)に譲り、復陽堂と称する。万延元年(1860)夏、武州成塚(深谷市)に滞在。文久3年(1863)に正木の諏訪神社に丘連で芭蕉句碑を建立。明治6年(1873)7月2日没、73歳。慈明文酬居士。辞世「かたる間に 終更にけり 夏の月」。明治15年3月に路米らが追善句会開催、および追善集『ちなみ集』刊行。

78.高梨文酬肖像画    高梨泰輔氏蔵

78.高梨文酬肖像画    高梨泰輔氏蔵

山口路米肖像
山口路米肖像

【四世雨葎庵路米】 山口茂兵衛。天保3年(1832)、平郡小原村(館山市)生まれ。名主山口太郎兵衛の養子。東斎・雪山とも号す。俳句は弘化2年(1845)より文酬・木鵞に師事し、嘉永4年(1851)3月四世雨葎庵を継ぐ。嘉永6年名主見習、明治6年副戸長を務め、明治17年(1884)に隠居。明治12年、伊勢参宮・西国三十三観音巡拝、85日。明治15年3月、文酬十三回忌追善集を刊行。明治16年、勝浦の旭松菴一澄に遠州流挿花を師事、27年皆伝、千松庵一稲と号す。明治22年9月、那古山月楼で取越しの芭蕉二百回忌を行ない、句碑を那古寺に建立。23年松島行脚。26年神道管長より訓導、27年権少講義に任じられる。34年那古寺に古稀を記念して句碑を建立。41年8月喜寿祝の選集『路米集』を刊行。明治41年(1908)9月20日没、77歳。眞諦院保壽路米居士。長男すみれに雨葎庵を譲る。辞世「雪と見る桃吹く畑の嵐かな」

70.山口路米の御庄連採点帖   岡崎淳氏蔵

70.山口路米の御庄連採点帖   岡崎淳氏蔵

79.山口路米喜寿選集『路米集』   当館蔵

79.山口路米喜寿選集『路米集』   当館蔵

80.路米俳画幅   当館蔵

80.路米俳画幅   当館蔵

48.路米短冊   山口国男氏蔵

48.路米短冊   山口国男氏蔵

81.路米句聯   安西明生氏蔵

81.路米句聯   安西明生氏蔵

82.山口すみれ肖像   山口国男氏蔵

【五世雨葎庵すみれ】 山口国治。文久2年(1862)、平郡小原村(館山市)生まれ。山口茂兵衛(路米)長男。家を姉テルに譲り分家。那古町収入役・町会議員。耕村とも号す。杉山杉風系梅人末流を称す。明治28年立机、帯径堂と称し、同年『八重葎集』を刊行。明治42年雨葎庵を嗣ぐ。関東大震災で負傷し、昭和5年(1930)4月20日没、69歳。静観院雨葎菫翁居士。昭和5年5月20日付で門葉人名録『傑作集』を刊行。

83.すみれ使用の矢立  山口国男氏蔵
83.すみれ使用の矢立  山口国男氏蔵
84.雨葎庵の印鑑  岡崎淳氏蔵
84.雨葎庵の印鑑  岡崎淳氏蔵

【六世雨葎庵示伯】 岡崎隆爾。明治25年(1892)、稲都村御庄(三芳村)生まれ。雨葎庵すみれ門人。昭和7年(1932)1月夷隅郡布施村(大原町)の花月館三上貞雄より花随庵の号を受け立机。すみれの遺言により同年10月雨葎庵を継ぐ。昭和31年(1956)9月11日没、65歳。順法院隆道示伯禅定門。
六世をもって雨葎庵は絶えた。東京でも地方でも旧派俳系のほとんどが同様である。そうした流れを見ながら、すみれと示伯は不明になりかけていた雨葎庵の師系を調査している。

85.岡崎示伯の師系調査ノート   岡崎淳氏蔵

85.岡崎示伯の師系調査ノート   岡崎淳氏蔵

48.示伯短冊   山口国男氏蔵

48.示伯短冊   山口国男氏蔵

48.すみれ短冊   山口国男氏蔵

48.すみれ短冊   山口国男氏蔵

86.雨葎庵に継がれた文台   岡崎淳氏蔵

86.雨葎庵に継がれた文台   岡崎淳氏蔵