大井・真野

八幡の祭に神輿を出す古社手力雄神社や古墳時代の横穴墓がある大井は平安時代からある地名で、隣郷には中世の仏像を祀る真野寺もある。古代からの歴史が連綿と続く大井と真野を探訪しよう。

大井(おおい)二区エリア

(1) 血出石(ちでいし)

 コンクリートの上に乗せられたふたつの房州石を地元ではこう呼んでいる。城山西側の田の中に立っていたもので、もとは置石でなく地中から生えていた石だったという。触れると血が染み出てくるとか、むかし石を動かして祟りがあったという話が残っている。

(2) 大井城跡

 城山(しろやま)とよばれ、周囲には要害・根小屋・城の内などの屋号がある。北から南へ5つの広い曲輪がまっすぐに続く直線連郭式の城郭で、周囲に数段の腰曲輪と中央にふたつの堀切があり、二の郭には物見櫓跡と伝えられる台地が中央にある。三の郭とは土橋でつながり、城跡の南端は切割の作場道が横断している。主郭の山頂には若宮八幡が祀られている。大井氏が居城にしたと伝えられている。

(7) 手力雄(たぢからお)神社

 神話で天岩戸を引き開けたという天手力雄命が祭神。大井大明神と呼ばれ、里見氏や徳川氏から43石の社領を与えられていた。本殿は江戸中期、宝永6年(1709)の建築で県指定文化財。部分的に里見義頼が造営した天正年間の特色がみられる。社前の大杉は樹齢700年の御神木で市の天然記念物。境内には安永7年(1778)の石灯篭、文政9年(1826)の手水石などが奉納され、拝殿には明治3年(1870)の俳諧額、明治44年(1911)後藤義信作の天岩戸神話の彫刻額などがある。社務所隣の池は船田池あるいは神舟池という。古来八幡の祭に神輿を出している。

(8) 石井昌道碑

 幕末から明治初期の手力雄神社神主の碑。江戸の昌平黌で学んだころ勤皇の志士たちと交わっている。帰郷後家塾を開いて近隣の子弟の教育にあたった。慶応4年(1868)に官軍に抵抗する榎本武揚や請西藩主などが安房に入国するなど治安が不安定になったことから、大総督府に陳情して治安維持部隊「房陽神風隊」を結成、安房国内の神職・名主・医師を中心に自己資金によって運営された。明治29年没。79歳。

(9) 止止山鼻(とどやまのはな)大岩屋跡

 手力雄神社裏の止止山丘陵端(記念碑の場所)に、むかし岩穴があったという。この碑を建てたタロベイ家は、かつて手力雄神社の別当を勤める円行寺という修験であったことが、大井大明神止止山鼻大岩屋旧跡記念再興碑に書かれている。

(10) 山崎の観音様

 昔はヤグラの中で観音様のお篭りが行われていたという。中世の石仏(如意輪観音坐像・大日如来坐像)が祀られている。

(11) 薬師堂

 山本から大井にいたる地域を巡礼する安房東口十二薬師の第四番札所である。御詠歌は「み仏に ならぶ月日の影うつる 大井の水の心もたれん」。ダイダ家の墓に、元禄年間に幕府の御用木を運搬する仕事を請け負い、日の丸の旗を船印として使用したことが書かれている。

千倉街道・真野(まの)エリア

(3) 燈籠塚

 千倉街道沿いに馬頭観音を祀る辻の南側、小高い平地にいくつかの塚が確認できる。燈籠塚と呼ばれ、古墳時代の円墳とされている。昭和初期に5基の円墳が報告され、勾玉や管玉、黒曜石の鏃、土器が確認されている。千倉寄りにも鹿島塚とよばれる場所がある。

(4) バア神

 千倉街道から大井へ下りる三叉路に、縄文時代の石棒を祀った石宮がある。明治30年代までは宇田坂寄りに茶店があったという。

(5) 宇田坂の延命地蔵尊

 千倉街道を宇田へ下りる途中に安永10年(1781)に清水村で建てた延命地蔵尊があり、「東千倉道・西那古道」という道標になっている。

(6) 真野寺

 安房国札観音の二十五番札所で、千葉県指定文化財で平安時代後期作の千手観音菩薩立像が本尊。行道面をつけているので、覆面千手観音と呼ばれている。がむしろ、「真野の大黒」の名で知られる寺。大黒天像も県の指定文化財で、二十八部衆像とともに南北朝時代の作。摩利支天像には建武2年(1335)に久保郷の住人が奉納したと書かれている。石段下には享保5年(1720)に14人の女性たちが奉納した六地蔵があり、堂内には文化7年(1810)の鰐口が奉納されている。そのほか境内のヤグラのなかには中世の地蔵尊像や五輪塔の残欠がある。

大井(おおい)一区エリア

(12) 大清水(おおしみず)

 このきれいな清水は、お馬洗の池とか大井戸と呼ばれていた清水で、大井の名はここから始まったと言い伝えられていた。石宮は水神。

(13) 阿弥陀堂

 里見氏のいた室町時代末につくられた阿弥陀如来坐像を本尊にしている。墓地には中世の五輪塔があるほか、寛政8年(1796)に加茂坂でおきた虚無僧殺害事件の被害者至竜の墓があるという。集会所裏には大井若者中が奉納した力石(40貫・53貫)が置かれている。

(14) 角田横穴群

 古墳時代の横穴墓が群をなしているところで、約50基が確認されている。遺体を入れる石棺を掘り込んだ横穴墓も数基ある。

(15) 瓢箪淵の廻国供養塔

 日本全国の廻国巡礼をしていた河内国蚊谷振郷(大阪府八尾市)の安蔵という人の廻国供養塔。巡礼の途中でここの瓢箪淵に落ちて死んだと伝えられている。嘉永5年(1852)のもので、三河や信濃・出羽・美濃・常陸・備後などの人々の名が並んでいる。同じ巡礼仲間であろうか。この道は加茂坂を越える旧道で、幕末の馬頭観音も並んでいる。岩肌に並んで開いている穴は、昭和30年代まで牛をつないでいたもの。


監修 館山市立博物館
作図:愛沢彰子