薗・二子

古代水田跡と白土坑の残る谷津の集落を歩く

九重 二子エリア

(1)日露戦争戦没者碑(にちろせんそうせんぼつしゃひ)<館山市稲>

加登屋商店の近くにある石碑。日露戦争の際の出征者について書かれている。館野村出身の三坂良助という人物が、明治36年(1903)に陸軍に徴兵され、明治38年(1905)に日露戦争で清国(現在の中国)において亡くなるまでの記録が記されている。撰文は館野村の村長小原健夫、書は従八位鈴木周太郎。高さ約2m。

(2)莫越山神社参詣道道標(なこしやまじんじゃさんけいどうどうひょう)

明治36年(1903)9月に建築関係者の「莫越山祖神教東京講」により建てられた道標。正面に「莫越山神社参詣道」「左一里九町十(間)」とある。豊田村(現南房総市丸山町)沓見(くつみ)の莫越山神社までの距離が記されている。

(3)九重駅(ここのええき)

大正10年(1921)6月1日開業。昭和44年(1969)7月11日電化。昭和30年代は駅前に駅長官舎、保線区官舎、駐在所、農業倉庫、郵便局の他に茂木医院(旧安房銀行九重支店)、美容院、床屋、魚屋、自転車屋、和田洋品店、加登屋商店、鈴木商店、九重軒、吉野家呉服店が並び、タクシーも待機する賑やかな商店街であった。現在の駅舎は平成19年(2007)2月に建てられた。

(4)八雲神社(やくもじんじゃ)

祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。社殿は平成元年(1989)12月吉日に二子区の有志により建て替えられた。それ以前の社殿は棟札から昭和10年(1935)3月吉日につくられたことがわかる。なお、境内の手水石に「新築記念」「昭和拾年旧二月」と彫られている。鳥居は平成8年(1996)5月建立。

(5)妙長寺(みょうちょうじ)

日蓮宗の寺院。山号は不染山。延宝7年(1679)の開山と伝わる。日蓮の一代記の絵が堂内に掲げられている。寛政11年(1799)の題目塔は二子で代々医者を家業とした谷崎家の初代元良(1817年没)が寄進したもの。江戸末期の2000寺巡拝の供養塔や、文政7年(1824)・文久2年(1862)の題目塔が残る。

(6)白土坑跡(はくどこうあと)

妙長寺の本堂に向かって左側の山裾に白土を採掘した跡が残る。歯磨き、精米や研磨剤として使われた白土は、主要な産出品であった。大正時代に二子に九重駅ができ、出荷が便利となったことも白土採掘事業が発展した理由の一つと考えられる。この場所は、房州白土共販株式会社が白土の採掘を行っていた。現在は使われていない宝貝へ抜ける道を通って白土を運んでいたと伝わる。

(7)妙蓮寺跡(みょうれんじあと)

日蓮宗の寺院跡。山号は法光山。里見氏の姫の梅田姫が開いたと伝わる。宝貝への道があったため、二子だけではなく宝貝にも檀家がいたという。廃寺となったため檀家は妙長寺が引継ぎ、寺院の址地には井戸跡や寛保2年(1742)の妙蓮寺住職の墓、元禄6年(1693)の墓などが残る。妙長寺の山門前に妙蓮寺の題目塔が移されている。

(8)二子堰(ふたごぜき)

二子の農業用水として使用された堰。二子の地名は北部(白幡神社の北)に突き出ていた二子塚状の小山にちなんだものと言われている。現在、その塚は消滅しているが、安養寺裏の山頂にも二つの塚がある。堰の中心は通ることができ、小祠が建てられている。

(9)得安堂医院跡(とくあんどういいんあと)

二子の医師・谷崎雄次が開いた医院。外科・内科・産科など幅広い分野の診療にあたった。谷崎家は江戸時代から元良・元益・元良・喬遷・雄次の5代が医者となった。屋号は医者どん(いしゃどん)。

(10)安養寺(あんようじ)

真言宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。宝珠院(南房総市府中)の末寺。山門の左側に。明治43年(1910)の出羽三山碑が建つ。駅前の三叉路から移されてきた元文2年(1737)の道標が設置されている(詳細は「(11)道標台石」の項目参照)。境内には享保7年(1722)に二子村安西仁兵衛が施主となった延命地蔵、弘化3年(1846)と文久元年(1861)の馬頭観音の文字塔、江戸末期の合掌する坐像の馬頭観音が残る。

(11)道標(みちしるべ)台石

駅前の三叉路に道標が設置されていた。「左 きよすみ 右 ちくら」「向うはたて山」「元文二巳年」「十二月吉日」。道路の変更で現在は安養寺の墓地に移された。馬頭観世音の碑の台座に使われている。この場所は昔から、館山から千倉、丸山方面への街道の分岐点にあたる。道標では、館山、千倉、清澄の方向を案内している。稲村の人によって建てられた。

(12)古代水田跡

周辺に古代の土地区画制度である条里跡が残る。市道9052号線道路整備事業に伴って実施した加戸条里跡の発掘調査では、奈良・平安時代から中世の水田跡や土坑、溝跡が確認された。

(13)リョウシャ様

安養寺裏の山頂に二つの塚があり、リョウシャ様と呼ばれる。この塚は、里見家の高田姫が生んだ双子を祀った塚と言い伝えられている。

(14)白幡神社(しらはたじんじゃ)

祭神は誉田別命(ホンダワケノミコト)。例祭日は1月20日。天井に42枚の花鳥図の格天井絵が残る。手水鉢は天保7年(1836)に今井庄蔵、安西仁兵衛、氏子中が願主、若者中が世話人となってつくられた。平成7年(1995)に常夜灯、平成21年(2009)6月に階段手摺を設置している。

九重 薗エリア

(15)廻国供養塔(かいこくくようとう)

道沿いに建つ石塔に陽刻の地蔵菩薩像と文字がかすかに見える。文政13年(1830)の廻国供養塔と思われる。願主は江戸深川の人物である。

(16)三島神社(みしまじんじゃ)

薗区の鎮守。八重事代主命(恵比寿様)を祀る。境内にある手水石は天保7年(1836)の作。向拝の彫刻は千倉町(現南房総市)の彫刻師・後藤義孝により昭和12年(1937)2月につくられた。どちらも地元の氏子により奉納されている。狛犬は安房郡大山村金束(現鴨川市)の根本与助により昭和6年(1931)6月に奉納された。現在拝殿に掲げられた神号額は皇紀2600年記念(1940年)の「三嶋神社」で、他に社殿内には宝暦2年(1752)の神号額「三嶋神社」が残る。三島神社では大正から昭和初期まで神楽を奉納していたといい、神楽で使用した獅子頭が現在も神社に残っている。

(17)日露戦役碑(にちろせんえきひ)

日露戦争に出征者の名を記した石碑。明治39年(1906)12月に、九重村恤兵(じゅっぺい)会によって建設された。高さ約2.6m、横幅は約0.9m。表題は大山巌の書による。裏側には、陸軍歩兵少佐の石井誠一ら九重村の出征者60余名の名前が刻まれている。


2021.11.21 作

参考文献:
館山市九重地区公民館・『ふるさと九重』編集委員会 『続篇ふるさと九重』平成19年(2007)
館山市立博物館 『地区展シリーズ(4)九重 豪族たちの里』昭和63年(1988)、『新・地区展 九重』令和3年(2021)

作成:令和3年度博物館実習生(専修大学)・館山市立博物館
〒294-0036 館山市館山351-2 ℡.0470-23-5212