田原長左衛門と石工俵家の世界

田原長左衛門と石工俵家の概要

館山市館山の楠見区にある俵石材店は、江戸時代の田原長左衛門から200年以上続く石屋です。明治初期に田原から俵姓となり、現当主は8代目になります。屋号は「長左衛門」といいます。

古い帳簿類は災害でなくなり、また、制作・奉納の年代が記されていない石造物もあり、詳しいことが判明しない作品もあります。江戸から明治初期の長左衛門の作品は、長左衛門を襲名した複数人の作品の可能性も考えられます。5代目の「俵光石」については別紙で紹介しています。ここに取り上げた作品の不明点については、今後、資料等が新たに見つかって修正されることを願っています。

長左衛門の記銘例

  • 長(3)1839年…楠見村石工 田原長左衛門
  • 長(5)1841年…館山楠見石工 田原長左衛門
  • 長(4)1848年…館山楠見石工 田原長左衛門
  • 長(7)1853年…館山町石工 長左衛門
  • 長(2)1860年…願主館山 石屋長左衛門
  • 長(6)1864年…楠見浦石工 長左衛門
  • 長(8)1881年…細工人立山町 俵長左衛門
  • 長(9)1884年…細工人当国館山町 俵長左衛門

長(1)石灯籠

高皇産霊(たかみむすび)神社 高井175

石灯籠一対のうち左側灯籠の竿に「嘉永二酉年」、右側灯籠の台座に「館山楠見 石工長左衛門」と刻まれている。総高240cm。嘉永2年(1849)、田原長左衛門の作。氏子中で奉納した。

長(2)阿弥陀仏百度石

善栄寺 塩見1051

お百度石は門前の左側、梅の木の根元にあり、高さ82cm、幅25cm。表面に「■弥陀仏百度石」とある。石塔の上部が欠けているが、残された「庚申(かのえさる)」の干支(えと)から万延元年(1860)6月のものであり、館山の石屋長左衛門が願主となって、阿弥陀様へのお百度参りのために建てたことが分かる。善栄寺の本尊は「あざとり阿弥陀」として信仰される阿弥陀如来である。

長(3)狛犬

海南刀切(なたぎり)神社 見物788

総高194cm、狛犬と台座の高さは126cm。天保10年(1839)、田原長左衛門が江戸京橋石川岸の彫工兼吉とともに彫ったもので、見物村世話人5名と若者たちが奉納した。左狛犬の台座正面に白虎(びゃっこ)、右側面に朱雀(すざく)、右の狛犬台座正面に青竜(せいりゅう)、左側面に玄武(げんぶ)の四神(しじん)が彫刻されている。神社の祭神は刀切(なたぎり)大神で、元は浜田の船越鉈切(なたぎり)神社と一神で海神の豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祀っていた。

長(4)手水石

相浜神社 相浜42

弘化5年(1848)奉納。高さ59cm、幅141cm、奥行63cmで、石材は小松石。「当所若者中」と世話人12名の名と「館山楠見 石工田原長左衛門」の銘がある。修験の感満寺(かんまんじ)の時代に奉納されたが、明治5年(1872)の修験道廃止令により相浜神社になった。

長(5)手水石

智恩寺 神余2785

天保12年(1841)奉納。高さ45cm、幅108cm。正面「奉献」の文字の間に「丸に二引き」の里見の家紋。背面に「願主氏子中」とあり、上の台組の熊野神社から移したものか。世話人6名・氏子12名と、「館山楠見 石工長左衛門」の銘がある。里見義康開基の寺。

長(6)一字一石大乗法華塔

源慶院 安布里647

元治元年(1864)建立。総高225cm。法華経の経典を一文字ずつ小石に書いて、極楽往生・追善供養などを願って埋納したもの。台座左側面に願主2名・世話人3名と「楠見浦 石工長左衛門」の銘が記されている。源慶院は天正元年(1573)に、里見義弘の娘佐与姫(さよひめ)によって創建された曹洞宗の寺。

長(7)光明真言供養塔

小松寺 南房総市千倉町大貫1057

嘉永6年(1853)に建立。総高350cm。格狭間(こうざま)に「桐の葉」紋様が施されている。願主は「大貫村中」。光明真言(こうみょうしんごん)を唱えると一切の罪障(ざいしょう)が除かれるとされ、百万遍唱えた記念に建立されることが多い。「館山町 石工長左衛門」の銘がある。

長(8)地蔵菩薩坐像

小松寺 南房総市千倉町大貫1057

明治14年(1881)に建立。台座の「万霊」は、あらゆる生き物の霊を供養する意味で、当寺43世隆澄(りゅうちょう)が発願主(ほつがんしゅ)となり、近隣の真言宗寺院の住職を中心に220名余の寄進で建立された。基壇の格狭間には象使いが彫られている。「細工人立山町 俵長左衛門」の銘がある。

長(9)子安地蔵

慈眼寺 南房総市西原883-1

境内の入口に子安地蔵が祀られている。正面に「三界萬霊(さんがいばんれい)」と記されている。先祖・両親の霊をはじめ、いきとし生ける者達の供養として建立された。願主28名・天台宗僧侶12名と「細工人 俵長左衛門」の名が記されている。明治17年(1884)2月24日の地蔵縁日に建立された。

俵(1)里見氏旧跡碑

延命寺 南房総市本織2014-1

参道入口の里見氏旧跡碑は、明治41年(1908)に、荒廃していた安房郡内の里見氏墓域整備事業が行われた記念に建てられた。総高225cm。正面の題字は埼玉県出身の書家諸井春畦(もろいしゅんけい)の書。裏面は33世大嶽(だいがく)和尚の撰文を春畦の妻で書家の諸井華畦(もろいかけい)が書いている。「俵豊石刻字」とあるのは、俵光石の実弟鈴木豊吉のこと。他に安房国分寺の「安房郡三名主之碑」や旧富崎小学校の「神田君碑」と六軒町諏訪神社の「表誠」の各碑の刻字もしている。

俵(2)狛犬

日枝神社 竹原850

楠見の俵徳次(俵光石の娘婿)の作で、総高160cm。狛犬の高さは62cm。昭和11年(1936)10月の祭礼月に地元竹原の小倉ますが寄進した。日枝神社は、仁寿2年(852)の創建と伝えられている。

俵(3)狛犬

六軒町諏訪神社 北条1980

彫工は、俵房嗣(俵家一族か)と記されている。総高163cmで、狛犬の高さ63cm。大正6年(1917)6月に御大典記念として、地元六軒町の崇敬者により建設された。境内にある大正10年(1921)の「表誠」碑は、俵(1)にある俵豊石こと鈴木豊吉の刻字。

俵(4)旧八坂神社参道横の碑

市立博物館本館南通用出口

かつて城山公園中腹に祀られていた八坂神社は、大正12年(1923)の関東大震災後に館山神社に合祀された上須賀区の神社。博物館西側に参道があり、その傍らに上部を欠損した石碑がある。16名の寄進者の中には「石工 俵」とみえる。震災以前の参道改修の際に寄付されたものと推察される。

俵(5)狛犬

山宮神社 東長田106

県道86号から観音院方向に分岐して約900m上流、長田川源流域にある。由緒によると、悪疫を鎮めるために「大山津見命(おおやまづみのみこと)」をお祀りした。境内の狛犬「吽像(うんぞう)」の台座に、「館山楠見石屋 俵刻」の銘がある。狛犬の高和は約85cm。基壇に、昭和10年(1935)1月に諏訪仙太・妻はるが、銀婚と母の喜寿を祈念して奉納したとある。

俵(6)狛犬

熊野神社 佐野1826

社殿前の一対の狛犬は、昭和13年(1938)に奉納された。地元の小林五郎左衛門が、近衛(このえ)歩兵と海軍機関兵として出征する双子の子息の無事を祈願したものである。「神ありて 願いは久し 二十年」と刻んである。頭部の角(つの)は欠損している。「石彫館山町楠見 俵」の刻印がある。後年、光石の縁者が銘を入れたと言われている。

俵(7)弘法大師千百年遠忌(おんき)灯籠

小松寺参道 南房総市千倉町1057

参道入口の灯籠は昭和12年(1937)、当寺46世鈴木隆照の時に、地元出身で東京在住の加藤正司が弘法大師千百年遠忌供養記念に建立した。総高285cm。石工は館山の俵徳次(俵光石の娘婿)。


作成:ミュージアムサポーター「絵図士」
青木悦子・金久ひろみ
佐藤博秋・佐藤靖子・鈴木以久枝
2021.11.10 作

監修:館山市立博物館
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℡.0470-23-5212