山本 御嶽神社

御嶽(みたけ)神社の概要

御嶽神社は館山市山本の山本区の氏神で、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神とする。歴史は古く、社殿に残る棟札から何回となく再建修復が続けられてきたことがわかる。最古の札は万治3年(1660)に五穀成就を願った祈祷札である。宝永7年(1710)の棟札は、元禄地震(元禄16年=1703)で被災した社殿を再建したものだろう。さらに寛政12年(1800)に拝殿の再建、文化8年(1811)にも拝殿を再建、安政2年(1855)に本殿の再建、明治5年(1872)に拝殿の再建、大正4年(1915)に本殿の修理と拝殿の再建、昭和3年(1928)に本殿の屋根瓦葺替(ふきかえ)がなされている。なお、現在は本殿・拝殿共に銅板葺に改修されて、拝殿には向拝を増築して精巧な彫刻も施された。本殿の龍などの彫刻は、安房の3名工の一人初代後藤義光の師・後藤三次郎恒俊(つねとし)の作である。

(1)神号碑

地元の山岸新造が願主となり、山岡鉄太郎(鉄舟(てっしゅう))の書いた書を基に神号碑として大正元年(1912)11月に建立した。碑文は表面中央に大きく「御嶽大神」、左に小さく「正四位山岡鉄太郎謹書」「願主山岸新造」、裏面に「大正元年十一月建之」と刻まれる。

山岡鉄太郎(1836~1888)は幕末・明治期の剣術家・政治家。鉄舟と号して、勝海舟・高橋泥舟(でいしゅう)と並ぶ幕末の三舟(さんしゅう)のひとり。明治維新後は明治天皇の侍従等を歴任した。

(2)手水鉢(ちょうずばち)

「文化九(1812)壬申天六月吉日」に、地元の谷貝(やがい)久右衛門が願主となって奉納したもの。

(3)伊勢神宮参拝記念碑

当社の氏子は神への信仰心が篤(あつ)く、毎年のように伊勢神宮参拝に出かけるとのこと。この地すべり防止を兼ねた石版(縦36cm、横幅93cm、厚さ16cm)は、昭和55年(1980)の参拝者が寄進したものだが、これ以外にも平成時代の第61回と第62回の式年遷宮(しきねんせんぐう)時に参拝した記念として、社号碑・狛犬・拝礼鈴などが奉納されている。

(4)石灯篭

昭和3年(1928)の御大典記念に、氏子の山岸ハナが77歳の喜寿を記念して奉納したもの。

(5)手水鉢

明治18年(1885)に、地元の素封家(そほうか)・小原謹一郎が願主となって奉納したもの。手水鉢正面には篆書(てんしょ)で「奉献」の文字と巴紋が彫られ、土台石の四隅には亀の彫刻が施されている。

(6)鬼瓦

昭和61年(1986)の社殿修復工事の際、屋根瓦の葺替えが行われ銅板葺となったため、旧来の瓦が降ろされた。その際、鬼瓦一基を記念として境内の一画に、「社殿修復記念碑」と共に置かれたもの。

(7)本殿彫刻

本殿には多くの彫刻が施され、虹梁(こうりょう)には菊の花を添えた鮮やかな若芽彫り、その上に向き合う躍動的な二頭の龍。木鼻(きばな)の獅子、肘木(ひじき)は波に飛龍、手挟(たばさみ)には鶴に松、海老虹梁(えびこうりょう)の若芽彫りと大瓶束(たいへいづか)を挟んで波に菊。脇障子(わきしょうじ)の上り龍と下り龍。何れをとっても緻密で精巧、見事な出来栄えである。作者は初代後藤義光の師匠・後藤三次郎橘恒俊(江戸京橋)。制作年の記載はないが、残された棟札によれば本殿は安政2年(1855)に再建されているので、その時期に作られたと考えられる。

(8)狛犬(こまいぬ)

裏参道にかわいい狛犬がいる。「寛政十二(1800)庚申(かのえさる)九月大吉日」の文字がある。台座には、奉納者22名の名があり、女性3名の名もみえる。願主は当初の小原善兵衛と井上五兵衛、石工は元名村(鋸南町)の大野常五郎である。社殿前の狛犬が第62回神宮司記念遷宮参拝記念の平成25年10月に奉納され、この年にも拝殿も新築されているので、それを契機に現在の場所へ移動したものと思われる。

(9)堂の下の石塔群

●大日如来石像

A…智拳印(ちけんいん)を結ぶ金剛界(こんごうかい)大日如来である。文化13年(1816)の造立。5名の名があり、出羽三山供養塔と考えられる。

C…地蔵菩薩の体に大日如来の頭が接合されたものと思われる。

●出羽三山供養塔

出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)参詣のため、各村では講を組織し、江戸中期からは供養塔の造立が盛んになった。DEHJは出羽三山と胎蔵界(たいぞうかい)大日如来の種字(しゅじ)アーンクを刻む。

B…「浄真拝」とある。浄真という僧が近隣の大戸村の1名を含む15名の村人を先導したと思われる。

E…村人23名と「円成」の名が記され、同じ基台に寛政2年(1790)と寛政11年(1799)の年号がある。

G…享保8年(1723)の造立。種字アーンクと村人15名が確認できる。湯殿山はアーンクで表され、出羽三山供養塔と考えられる。

H…村人10名が安永2年(1773)に造立。

J…塔身に安永8年(1779)の年号と2名の名、基台には延享元年(1744)の年号と11名の名がある。別物が積み重ねられた供養塔である。

●六十六部廻国塔

全国66か国の寺社に大乗妙典(だいじょうみょうてん)(法華経)を納めるために霊場を廻る人を六十六部(六部(ろくぶ))という。塔には「天下泰平」「国土安全」などの願いが刻まれることが多い。KLMは、上部に阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)の種字を刻む。

I…山本村の鈴木長左衛門(同阿弥)が父母の冥福を祈って廻国し、享保15年(1730)に造立。

K…山本村の谷貝久右衛門が享保14年(1729)に造立。風化で造立目的が判読できない。廻国塔ではない可能性もある。

L…江戸中期の造立と思われる。両側面に大日如来報身真言(アビラウンケン)が梵字(ぼんじ)で刻まれる。

M…山岸八左衛門が享保14年(1729)に建立。金剛界大日如来(バザラダトバン)と胎蔵界大日如来(アビラウンケン)の梵字がある。両側面に、代々の親族縁者の成仏や、幸福で長命なことの願いを記す。

●金剛界四方仏層塔(そうとう) F

大日如来の智の世界を金剛界という。塔身中央を大日如来と見なし、四方に不空(ふくう)成就如来(北)・阿閦(あしゅく)如来(東)・宝生(ほうしょう)如来(南)・阿弥陀如来(西)を配し、金剛界五仏を表す。この塔身の梵字は、南北の位置が反対である。

●聖(しょう)観音菩薩石像 N

念仏講の16名により、延宝7年(1679)10月15日に造立された。聖観音は特定の月齢(げつれい)の夜に月を拝む月待(つきまち)や念仏供養などの主尊とされることがある。

●虚空蔵(こくうぞう)菩薩石像 O

右手に宝剣、左手に宝珠(ほうじゅ)を持つことから虚空蔵菩薩と思われる。知恵や記憶力を授ける菩薩として信仰されるが、十三夜待や十五夜待の主尊とされることもある。「村仲」とあり村で奉納しているので、月待塔の可能性がある。

(10)幟立(のぼりたて)と力石

幟立は平成9年(1997)8月に青年館前の現在地に移動した。昭和39年(1964)の農業構造改善事業により幟を建てる土地が無くなったためである。幟の柱は21mもある。幟の大きさは以前のものと同じで、祭りの日には大きな吹き流しの幟が勇壮に舞っている。

幟立の横には三つの力石がある。1個は大日如来(胎蔵界)の梵字と月山・湯殿山・羽黒山の文字が刻まれている。他の2個には文字がない。3個とも重さは不明である。文字があるものは三山碑であるが、力石としていた様である。また力石を持って社殿前まで登っていったという古老の話も残されている。


作成;ミュージアムサポーター「絵図士」
川崎一・鈴木正・殿岡崇浩・中屋勝義・山杉博子
2022.3.1 作

監修 館山市立博物館
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