本図は全国的に流布している妙沢(みょうたく)の肉筆画です。ほとんど墨画で、わずかに肉身部や火炎光背、持物納衣に淡彩を施こしています。
中尊の不動は天地眼で、右端に上向きの牙、左端に下向きの牙をむき出し、頭上に頂蓮華を乗せ、右手に剣、左手に羂索を持って三重の瑟々座に立つ図様で、様式的には託磨派の流れをくんでいます。
矜羯羅(こんがら)も頭上に頂蓮華を戴き、それを朱色の紐で顎に結び左小脇に独鈷杵をはさみ、合掌して中尊の不動を見上げています。
このほかに頭頂に宝珠を戴き、右手で地に立てた棒を握り、左臂をその上にのせ、左掌で顎を支え横目で中尊を見る制叱迦(せいたか)童子像がついて三幅対になるわけですが、成就院では現在、制叱迦を欠いており、紙本の後代の写しが伝わっています。
これを描いた竜湫周沢(りゅうしゅうしゅうたく)(1307~1388)は諱を妙沢と言い、南北朝時代の禅僧です。夢窓疎石(むそうそうせき)の法嗣(ほっす)の一人で、京都の建仁寺・南禅寺・天竜寺に歴住しました。不動明王を信仰し、百日間にわたって毎日一尊を描く日課を20余年も続けたと伝えられます。妙沢が、移入された中国の宋元風の水墨画の影響を受けて描いているのは、瑟々座の描法を見てもあきらかですが、日本の初期水墨画人のなかでは、異色の存在といえます。
紙本著色制叱迦童子像
南北朝時代
鴨川市・成就院
絹本墨画淡彩 不動明王(107×42)
南北朝時代
鴨川市・成就院
矜羯羅 (103×38)
南北朝時代
鴨川市・成就院