正式には妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五と妙法蓮華経陀羅尼品第二十六で、奥書からこれらが中国元時代至正21年(1361)に平江州、現在の江蘇省呉県でつくられたことがわかります。
巻子本に仕立てられており、両方とも見返しに普賢菩薩に向かって教を説いている釈迦と、その両脇侍が美しい彩色で描かれ、その次に本文の経文の部分があり、巻末に千手観音菩薩がやはり、彩色で描かれ、奥書きがついています。本文の経文は白い絹布に藍色の絹糸を使って一字一字繍文され、「佛」の文字は金糸が使われています。
奥書きには姚子の二人の娘が中心となり、人々から浄財を募り絹布を求め、張氏や唐氏などの女達と力を合わせて、この経文を繍字したことが書かれています。またこれが、元禄15年(1702)に京都智積院の宥鑁僧正によって、那古寺と宝珠院に寄納されたことが書かれています。
日元交通は、足利直義が無窓疎石の請により天龍寺船を派遣するほか、私船の交通もあり、入元僧・帰化僧も多く、後の北山文化の基盤をなしましたがこの経典の渡来もこのころか、また次代の日明貿易でもたらされたものと考えられます。
法華経普門品
絹本繍字 (386)
元時代(1361年)
館山市・那古寺
法華経陀羅尼品
絹本繍字(300)
元時代(1361年)
三芳村・宝珠院