この壺は現在、東京国立博物館の所蔵になっていますが、もとは館山市館山城山より明治期に出土したとされています。
白磁は、中国で南北朝時代後期(6世紀)頃に出現し、唐代には河南・河北方面で盛んに制作されました。宋代には象牙のような色合の定窯(ていよう)白磁が有名で、また華南の諸窯では釉が青みをおびた影青(いんてん)(青白磁)が量産されました。元代には景徳鎮(けいとくちん)の枢府窯と呼ぶ白磁が作られました。
中国の白磁、特に宋時代のものは、我国へは11世紀末からみられ、四耳壺や梅瓶など高級器も地方に運ばれました。最初は座敷飾や社寺の装厳具として用いられたようですが、持ち主の死などで、蔵骨器に転じて、完形のまま出土する例がみられます。
両壺とも形はやや胴径が大きく、撫肩で外反りする口縁帯を外方に折りまげています。肩に四個の横耳をつけますが、耳には横方向い刻線を入れています。頸部の立ち上がりが高く、器形に張りを与えています。
磁器(高27.4)
宋・元時代
白磁四耳壺(館山市城山下)(3)
東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/
磁器 (高31.6)
宋・元時代
白磁四耳壺(館山市城山下)
東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/