仏典の『大無量寿経』などに説かれている極楽浄土の景観を大きな構図として描いた阿弥陀浄土変相図で、日本に流布した智光・当麻・清海の、いわゆる浄土三曼荼羅の1つです。
このうち清海曼荼羅は、長徳2年(996)に奈良超昇寺の清海が感得したという銘文があり、三曼荼羅のなかでは、最も後に成立したものです。
浄土変相図の最も古い遺品は、6世紀後期まで遡り、次いで初唐(7世紀)頃から阿弥陀信仰の高揚によって浄土図の制作がにわかに盛んとなりました。敦煌には、唐~宋初の各種浄土図がのこっています。日本でも、法隆寺金堂壁画の四仏浄土、東大寺大仏蓮弁の蓮華蔵世界(華厳経変相)、同法華堂にあった霊山浄土(法華経変相)などのほか、唐から請来とみられる綴織当麻曼荼羅もあり、文献になお種々の浄土変相が描かれたことがみえます。
この清海曼荼羅は、当麻と智光曼荼羅との中間を示し、智光曼荼羅に比べて阿弥陀三尊周辺の聖衆を増すほか、宝池付近もにぎわいを増して描かれます。他の二系統の浄土曼荼羅との違いは、彩色を施こされない点で、紺地に金銀泥で描かれるため、透明感と清澄な印象を見るものに与えます。
心厳寺にはこの他、智光、当麻曼荼羅が所蔵されており、三曼荼羅を皆具する房総でも稀な寺院です。