3 戦争と供養

戦争による死者は「勇士」や「英霊」と呼ばれ、手厚く弔われました。戦争は国家事業のため、戦病死者の弔いは町村をあげて行われています。大日本国防婦人会館山北條町分会の昭和11年度事業報告には、郷社八幡神社で出征者の武運長久を祈ったり、休除隊者を駅へ迎えいに行くといった活動の他に、館山海軍航空隊で行われた慰霊祭に参加したり、遺骨を駅へ迎えに行ったり、合同葬儀に参列するなど館山北條町出身者のための活動が記されています。

合同葬儀は北条尋常高等小学校や館山尋常高等小学校などの学校の講堂で行われました。当時の写真や葬儀次第書によると合同葬儀には遺族・親族だけでなく、区長・来賓・在郷軍人会・愛国婦人会・国防婦人会・町婦人会・消防組・青年団・消防団・日本赤十字社員、市内の各学校といった多くの人が参列しました。

44.戦死者合同葬儀写真
昭和13年(1938) 当館蔵(館山北條町アルバム内)