安房・上総を領有する里見氏と、伊豆・相模・武蔵を領国化した北条氏とは、東京湾をはさんで対峙し、長く敵対する関係を続けており、水軍による相互の侵略や、上総・下総での白兵戦が繰り広げられた。
北条氏は下総の千葉氏一族を従属させており、下総が両者の最前線になった。天文7年(1538)と永禄7年(1564)の2度にわたって行われた国府台合戦はよく知られている。
里見氏と北条氏の関係は「快元僧都記」が享禄以前に里見義豊が鎌倉へ乱入したことを伝える記事から始まる。天文2年・3年(1533・1534)の里見家内訌に際して、北条氏の助勢を得た里見義堯が一時期関係を回復するが、天文6年には再び手切れとなった。
その後一進一退の攻防を続けるが、永禄10年(1567)頃から北条氏は里見氏との大規模な衝突をさけて、融和へ動きをはじめ、天正5(1577)についに里見義弘は北条氏政と和睦した。天正10年には里見義頼が、甲斐で徳川家康と対峙する北条氏直に援軍を送っている。講和の解消した時期は明らかではないが、天正18年には小田原攻囲軍として参加した。
北条氏康書状
沼津市・西原一夫氏蔵
(永禄7年)1月4日
黒漆塗軍陣鞍
館山市・菊井堯晴氏蔵
あぶみ
館山市・菊井堯晴氏蔵
鉄扇
沼津市・西原一夫氏蔵
二引両紋旗印
館山市・吉田謙四郎氏蔵
三鱗据金物付十二間漆塗筋兜
狭山市・伊沢昭二氏蔵
朱漆塗三鱗紋黒漆塗仏胴具足
狭山市・伊沢昭二氏蔵
里見義頼書状
小田原市・稲子正治氏蔵
(天正8年)7月5日
松田憲秀書状
三芳村・高橋義隆氏蔵
(天正10年)11月12日
北条氏政書状(上野文書)
当館蔵(上野理七郎氏寄贈)
(天正10年)10月25日