【3】資料編

渡辺雲洋年譜

年月日
できごと・画業
文化・文政の頃旧東長田村(現館山市東長田)館石家に生まれる
嘉永元年(1848)宮沢竹堂著『房州雑詠』に鏡ヶ浦の挿絵を描く
安政2年(1855)6月白浜町滝口・下立松原神社奉納「裸馬図」絵馬を描く
元治元年(1864)11月18日旧山荻村(現館山市山荻)甲子講に「甲子大黒天図」を描く
慶応元年(1865)夏雲洋旧蔵の春木南華画賛「山水図」が描かれる
(館山市長須賀・上野和子氏蔵)
この頃の3月22日六軒町の角屋にて会主として書画小集を開催する
慶応2年(1866)富士仙元宮石灯籠が建立される(館山市北条・震災記念観音堂)
慶応3年(1867)頃池田家旧蔵「挽琴嶺」の画を描く
明治2年(1869)元旦館山市大神宮・遍智院蔵「福禄寿図」を描く
明治3年(1870)4月館山市沼・川名桂氏蔵「孔雀図」を描く
明治3年(1870)館山市大井・手力雄神社奉納俳句額の「梅図」を描く
明治3年(1870)館山市東長田・永井貞夫氏蔵「松鶴図」六曲屏風を描く
明治6年(1873)2月27日館山市東長田・石渡静雄氏蔵「梅鷹図」を描く
明治8年(1875)11月館山市北条・不動院格天井の「花鳥図」天井絵を描く
明治9年(1876)2月館山市那古・那古寺奉納「鏡浦図絵馬」を描く
明治12年(1879)2月館山市波佐間・諏訪神社奉納「仁田四郎猪退治図」を描く
明治12年(1879)3月27日安房四郡郡長・重城保宅にて画を描く(『重城保日記』による)
明治16年(1883)2月18日没する。享年不明(北条・法性寺蔵『日照山過去帳』による)