かっこ舞

 三匹獅子舞(ししまい)は広く東日本に分布しています。安房ではこれを「羯鼓舞」(かっこまい)と呼び、雨乞(あまご)いのための儀式となっています。

 安房は地形上水源に乏しく、農業用水の確保が、この地域の大きな生活課題でした。水の確保は、今年(平成6年)の大渇水(かっすい)を経験している現代の私たちにも共通する課題ですが、神頼みである雨乞いが、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る農耕儀礼として続けられていることがよく理解できます。

 かっこ舞は、人々の願いを映し出す農耕儀礼です。1本の道を隔てて向かい合う、館山市浜田の船越鉈切(ふなこしなたぎり)神社と、見物(けんぶつ)の海南刀切(かいなんなたぎり)神社では、毎年7月14・15日の例祭で、獅子舞が奉納されます。踊りはかっこ3人、ササラ4人、神縄持2人、太鼓笛数人により行われます。花笠をかぶった少女がすり鳴らすササラは雨の音を、花笠から垂れる7色の紙は雨を表すといいます。市内ではこのほか、下真倉(しもさなぐら)青柳の日枝(ひえ)神社、神余(かなまり)の日吉神社などで現在も続けられています。

館山市見物・海南刀切神社かっこ舞

館山市見物・海南刀切神社かっこ舞

1.獅子頭
館山市見物・海南刀切神社

1.獅子頭

1.古代祭祀の時空

 のちに神道と呼ばれることになる、日本固有の信迎が芽吹きはじめたのは4世紀の頃。人びとは、山とか森といった自然物を対象として、神まつりを行っていました。そして、その場所が聖なる空間であることを示すために、巨木や巨石などを「神のよりしろ」と考えます。

 日本の神は、本来目にみえない存在であり、特定の場所に結びつくという傾向があります。例えば「安房に坐(ましま)す神」というふうに、神を固有名詞で呼称するのではなく、特定の場所に潜(ひそ)んでいる、つまり「坐す」ことが重要視されています。神はその特定の場所で威力を発するので、そこが聖域となって、儀礼が生まれてきたのではないでしょうか。そこで問題となるのが、何時、どうして行われたのかということです。

 しかし、何時という単純な疑問に解答を用意することは、難しいことです。まつりは年中行事(ねんちゅうぎょうじ)のなかで、はっきりとした時間意識のうえに行われ、1年の折り目には神の来訪があったはずです。しかし、いつからいつを1年としたのか、時間認識の基準となったのは稲の一生なのか、畑作なのか。説得力のある仮説は未だありません。目的については、古代祭祀(さいし)遺跡の景観(けいかん)や出土遺物から解答を用意でき、それらから、まつりが豊作の祈りや魔除け、火山の噴火など自然を鎮めるために行われたことがわかります。

 ここでは館山市内に伝わる神事(しんじ)をモデルに、古代祭祀をイメージしましょう。

 土製模造品~何をモデルにどう使われたのか

32.人物埴輪(巫女)

32.人物埴輪(巫女)
  成東町経僧塚古墳

33.人物埴輪(巫女)

33.人物埴輪(巫女)
  芝山町木戸前1号古墳

34.人物埴輪(鈴鏡を下げた巫女)

34.人物埴輪(鈴鏡を下げた巫女)
  埼玉県東松山市三千塚古墳群
 高田兵庫氏蔵・埼玉県立歴史と民俗の博物館保管

49.◎馬鐸
49.◎馬鐸
  木更津市金鈴塚古墳
41.◎十鈴鏡
41.◎十鈴鏡 伝群馬県佐波郡玉村町小泉

はじめに

 本来、神は目に見えない存在で、「神がかり」という言葉があるように、神は人を畏れさせる威力をもち、呪力あるカリスマ的性格を持つものです。

 まだ神社がなかった頃には、どこの山とか、どこの森とか、ある特定の場所に神様が潜んでいると考えられ、その場所を中心に崇拝が始まりました。

 私たちの住む安房では、古墳時代後期の6世紀から7世紀にかけて、特殊な土製模造品を使った神祭りが行われています。そして、高塚古墳が少ない一方で、海蝕洞穴に有力豪族が埋葬されています。

 また、『古語拾遺』の「房総開拓神話」には、安房に忌部氏が集団移住したという伝承が記され、律令期には神郡を有する安房神社を中心とした祭祀集団が形成されています。

 そこで、今回の企画展「神々の風景―古代のカミへの捧げモノ」では、これらの考古学的、歴史的事実を前提に、神まつりに使われた土製模造品にスポットをあて、古代の安房で、一種独特な宗教文化が形成された背景を探ってみることにいたしました。

 陳列された資料から、神まつりをとらえ、古代の安房に想いをめぐらせていただければ幸いです。

 本企画展の開催にあたりまして、貴重な資料を御出品下さいました関係各位、並びにご指導ご協力を賜りました皆様に、深く感謝の気持ちを表したいと存じます。

 平成6年10月15日
館山市立博物館長 松田昌久

凡例

  • この図録は、館山市立博物館の平成6年度第3回企画展「神々の風景-古代のカミへの捧げモノ」(会期:平成6年10月15日~11月27日)の展示図録です。
  • この図録の図版番号は、展示番号と一致します。なお展示替えにより、図録にあっても展示されていない場合があります。
  • 資料の名称は、展示テーマに従い選定したものがあります。必ずしも、指定名称・管理名称とは一致しません。
  • この図録に使用した地形図のうち、38頁の地形図は、国土地理院発行の1:50,000ですが、他の地形図は、同1:25,000です。
  • 出品協力者、写真提供者については、巻末にご芳名を記しました。
  • 展覧会の企画、この図録の編集・執筆は学芸員杉江敬が担当しました。

目次

はじめに
安房地方の古代祭祀遺跡・式内社分布図
カラー図版
1.古代祭祀の時空
2.神々に捧げられた工芸品-古神宝
3.神まつりのかたち-関東の古代祭祀遺跡を概観する
4.独特な宗教文化の形成-安房の古代祭祀遺跡を考える
5.安房の土製模造品-何をモデルにどう使われたのか
おわりに-今後の展望を考える
展示資料目録
協力者一覧
参考文献-よりくわしく知るために

神々の風景
―古代のカミへの捧げモノ―

企画展
神々の風景
-古代のカミへの捧げモノ-
館山市立博物館

安房神社背後の吾谷(あずち)山(標高101m)

 安房神社は天太玉(あめのふとだま)命の孫天富(あめのとみ)命が阿波忌部一族の子孫を率いて上陸した地に祀(まつ)られたものと、『古語拾遺』(こごしゅうい)に書かれています。確かに、安房神社背後の吾谷山は、海上からよく目につく山であり、笠を伏せたようなそのかたちから、神を迎える山だと考えることができます。