地震の直後は安房郡外からの救援が絶望的だったため、安房郡長を中心として、郡役所職員、各町村長らが連携し各機関への連絡、請願、救援活動を行いました。倒潰した北条警察署、倒壊を免れた北条税務署、水産試験場等の各施設とも協力して地震後の対応にあたっています。
当時の大橋高四郎安房郡長は「生命の無事なりしは何よりの幸福なり。一身を犠牲にして萬斛(ばんこく)の同情を以って罹災者(りさいしゃ)を救護せよ」と命が助かったことに感謝し、被災した人々を救護するよう呼びかけました。
救援活動の中核を担ったのは青年団員でした。郡外からの応援が難しいと判断した大橋安房郡長は、比較的災害が少ないと考えた平郡村、大山村、吉尾村等の村々へ青年団、在郷軍人分会、消防組等の応援を要請したので、被害が少ない地域から次々と応援がやってきました。また、北条町や館山町では多くの病院が倒潰しましたが、限られた設備や薬を用いて傷病者の治療に力を尽くしました。