100年前の大正12年(1923)9月1日午前11時58分、相模湾北部を震源とするマグニチュード7.9、最大震度は7と推定される大地震が発生しました。関東地方を中心とした広い範囲が被災し、死者・行方不明者は105,385人、建物被害は372,659棟に及びました。
千葉県は安房(あわ)郡、君津郡、市原郡の被害が大きく、特に安房郡は、死者1,203人、負傷者2,954人、建物被害13,726戸(大正15年発行『安房震災誌』による)と甚大な被害を受けています。
安房郡内でも特に被害が大きかったのは、鏡ヶ浦沿岸を中心とした館山(たてやま)平野でした。北条町・館山町・那古(なご)町・船形(ふなかた)町をはじめ館山平野の町村は90%以上の家屋が倒潰(とうかい)しています。富崎(とみさき)村や西岬(にしざき)村では津波が来襲し、館山町、船形町では火災が発生しました。
また、安房地域では地形の変動も起こり、1~2mの土地の隆起や地割れ・陥没が各地で発生しました。館山から千倉に至る海岸線は岩盤が隆起したことで、大正ベンチと呼ばれる岩場を形成しています。海岸では40mの砂浜ができ、高ノ島(たかのしま)は遠浅の海となり、干潮時には高ノ島へ歩いていくことができるようになりました。