長沼流兵学は、江戸時代の初期に長沼宗敬(1635~1690)によって創始された。宗敬の著書『兵要録』、『握奇八陣集解』に基づいて、兵法の哲学上の道理や、「練心胆」に重点を置いた兵の訓練法などが説かれ、江戸において名声を博した新兵法学の流派の一つである。
仰岳が入門した市川梅巓は、長沼流兵学の中でも特に繁栄した学統のひとつである宮川系の流れをくむ一派であった。のちに梅巓が松前城(北海道)の改築に携わった際に、仰岳を連れていきたいと希望したが、田中藩からの許しが得られなかったという話も残っており、仰岳の資質が高く評価されていたことをうかがわせる。