白浜での仰岳は読書のほか、竹細工や硯などの彫刻を趣味としていた。81歳で失明するが、健丈に変わりはなく、明治24年(1891)に83歳で没するその前日まで、講義は続けられた。亡くなったときも、一挙一動たりとも節度に乱れがなかったという。遺志により、白浜町原にある杖珠院墓地の高台に葬られた。「一片の石を表し豹隠先生墓と題せば可なり」という生前の仰岳の言葉は、質実を好んだ武士としての風格を思わせる。
恩田仰岳(右)・城山(左)記念碑
白浜での仰岳は読書のほか、竹細工や硯などの彫刻を趣味としていた。81歳で失明するが、健丈に変わりはなく、明治24年(1891)に83歳で没するその前日まで、講義は続けられた。亡くなったときも、一挙一動たりとも節度に乱れがなかったという。遺志により、白浜町原にある杖珠院墓地の高台に葬られた。「一片の石を表し豹隠先生墓と題せば可なり」という生前の仰岳の言葉は、質実を好んだ武士としての風格を思わせる。
恩田仰岳(右)・城山(左)記念碑