5 館山海軍航空隊

関東大震災による隆起により陸続きとなった高ノ島の周辺を埋め立て、昭和5年(1930)6月に館山海軍航空隊が創設されました。軍事施設の存在は、地域の人々の生活に大きな影響を与えていくことになります。

昭和12年(1937)には、館山北条町在住の海軍航空隊出入り商人を会員とする誠納会が組織されています。約50名の会員のうち、写真師は川名写真館と成瀬写真館の2軒のみでした。両写真館は、館山海軍航空隊の施設や訓練風景を撮影し、写真帖や絵はがきなどを発行しています。その一方、東京湾要塞地帯では自由な撮影が制限され、風景写真では背景の加工を行うこともありました。

川名竹松の遺したガラス乾板や写真には、館山海軍航空隊員を撮影したものが数多くあります。戦地に赴いた兵士から、自分の写真を実家に送ってほしいと依頼する手紙もあり、命がけで戦う若者たちが家族に残すための写真を撮影していた様子がうかがえます。

50.館山海軍航空隊演習風景
原品|ガラス乾板 昭和初期
53.海軍航空隊御用看板につき注意
昭和14年(1939)