【2】町の起源を探る
 (1)里見の城下町

 館山に町がつくられたのは里見氏の時代でも末期といえる里見義頼・義康・忠義の時代です。義頼が本拠にしていた岡本城が抱える湊は小さくて交易には不向きでした。そこで大きな湊を控える館山湾南岸に目を付けた義頼は、天正12年(1584)、商人の岩崎与次右衛門に命じて柏崎を拠点に交易活動をさせ、館山城移転への道筋をつくりました。

 義康が天正19年(1591)に本城を館山城へ移してからは、里見家の主導で新井町と北条町に半ば強引に商人を住まわせ、他国商人との取引もそこへ開設した市(いち)でのみ許可をし、城下館山に町割りもほどこしていきました。真倉(さなぐら)村の浜方集落であった新井浦と楠見浦から一部を割いて上町・仲町・下町という町方集落をつくったと伝承されているのが、新井に立てた市だったのでしょう。

 やがて商人への諸税免除や規制の緩和政策で交易が活性化され、道路や衛生の管理などを含む町の運営は町名主といえる岩崎与次右衛門を中心とした商人たちに任されていきます。市が立てられた新井町と北条町だけでなく、両町を結ぶ長須賀町、そして館山三町が割かれた楠見町が城下の町場として姿を現します。江戸時代に館山三町四浦といわれた岡上須賀浦・浜上須賀浦にもおそらく町場は広がり、岩崎与次右衛門が屋敷地を与えられた沼村柏崎浦までの城下町が形成されたのです。

35.館山町・長須賀村・北条村絵図
35.館山町・長須賀村・北条村絵図
上真倉区蔵
No.35のトレース図
No.35のトレース図