3.寺崎武男の絵の本質とライフワーク

 武男と親友の西洋歴史学の権威、大類伸文学博士はその画風について次のように著している。「この稀有な画家、寺崎君の画風が、古今のイタリア画家の作品から影響をうけたことは、言うまでもないが、私は同君の作品を思う時、いつもヴェニスの画家、ティントレットーを思い出さずには居られない。ヴェニス・ルネサンス画家を代表するティチアンに対して、一種の叛逆児の感のあるティントレットーの荒々しい野心に富んだ奔放自在な画風を思う時、何となく寺崎君の姿を思い出す。私が同君に案内されてヴェニスの聖ロッコ寺の会館(スクオラ)を訪れた時、全館を埋め尽したティントレットーの壁画には、驚異の眼を瞠(みは)らないでは居られなかった。ルネサンスの大巨匠、ミケランジェロさえも発揮し得なかったような奔放自在の生命がありのままに発揮し尽されたかの観があり、それは、正にルネサンスの古典美に対する大きな叛逆であったと言ってよかろう。荒々しい筆触、躍動している人物、すべては生命の激動である。寺崎君の作品を見る時、以上のことが二重映しになってくる」(「寺崎武男回顧展」より、1967年(昭和42年)4月、千代田画廊)。

 武男は、自らの「芸術宣言」(1917年(大正6年)。※P.44資料集参考)の中で、「画家は自由なる宇宙(マクロコスモス)の生を得て生存する人間である。しかるに画家はそれ自身小宇宙(ミクロコスモス)でなければいけない」。「あらゆる旧思想と旧状を打破し、一変して新芸術的状態を構成せむとす」と述べ、自分が目指す絵は「ディナミックとオーケストラチョン」(『芸術』七面社、1917年(大正6年)2月)であり、「それが芸術上の第一の要素である」と宣言した。「ディナミックとは、事物の持って居る内部的威力(エネルギー)、及び其事物の発揮(ママ)表現する気持、即ちそれは目には見えないけれども、吾人を非常に感動せしめる、其の力を云うのであって、是等が集って一つの景色となり、人物なりを形造る時にその(天然の)ディナミックの相互の発輝集合せるオーケストラチョンがある。オーケストラと云うと、合奏と云う事があるが、個々の事物が打っている即ちビブラチョンしているディナミックの感興があるので、其感響が纏(まとま)り綜合して、即ちフジオン(融合)となって折々堪え難く芸術家を興奮せしめる其感興の調子を現したものを、自分はディナミックのオーケストラチョンと名づけて居るのである。これこそが芸術上の第一の要素であり、其(その)感じを感興するのはインプレッションであって、其感じをエキスプレッションするのが、即ち絵画なり、彫刻なり芸術上の作品である」。

 これが寺崎武男絵画の核心となり、熱血の浪漫詩人ダヌンチオと親交を結び、巴里でカンジンスキーと組し、伊・佛・ベルギーの画家たちと新芸術派を創り、新しい芸術運動を興そうとしたが、第一次大戦となり挫折した。それと前後するように前述の「ルネサンス諸大家の傑作二十枚」の焼失の不幸が重なり、二つの挫折が武男の生涯に微妙な影を落す。

 だが、東西文化の交流、東西絵画の融合の機会を天から与えられ、フレスコ、テンペラ、水彩、パステル、エッチング、リトグラフィ、当時真新しい画材、画質、画法を使った滞伊作品が三越や白木屋ギャラリーで何度も開かれ、1917年(大正6年)には武男の絵画の原点ともいえるフレスコによる「飛鳥朝の夢」が文展で特選となる。2年後の1919年(大正8年)には日本創作版画教会を設立、多数のエッチングが出品され、バーナード・リーチに激賞される。1923年(大正12年)には自らの「精美会研究所」を赤坂の自宅のアトリエに創立、それは1948年(昭和23年)まで続く。またテンペラ画会1929年(昭和4年)、洋風版画会1930年(昭和5年)、日本版画協会1931年(昭和6年)、日本壁画家協会1935年(昭和10年)と次々に創立メンバーとなり、実施と普及につとめた。

(中略)

 武男は1938年(昭和13年)55歳を期に日本の画壇からは一切手を引き、館山で、三島由紀夫氏の言葉を借りるなら、「…無理解と孤立には少しも煩はされずに、悠々と、晴朗に、芸術家たるの道を闊歩していた。あくまで走らず、跳ばず、悠揚たる散歩の歩度で。氏こそ、真の意味で、芸術家の幸福を味わった人ではなかろうか」(「寺崎武男回顧展」1967年(昭和43年)4月)と。

 そのため、寺崎武男は“忘却の彼方の人”となったが、「売り絵に身をやつしたら、自分の芸術は堕落する」との信念から売り絵をしなかった為、膨大な絵を残した。私はその膨大な絵を生まれてから70年間見続けているが、一度も見飽きたことがない。

 不思議なことである。

 今回の展覧会は、3年も前から、元千葉県立安房博物館米田耕司館長、辻田実館山市長が、「房州をこよなく愛した日本近代絵画の先駆者・寺崎武男の世界」を館山市立博物館で…との思いが、奇しくも武男の生誕120年祭、37回忌に開催されることになった。それは歌舞伎とオペレッタの二筋道を、ジャンルは違っても父と同じ東西音楽劇の融合をライフワークとする私にとっても、こんな嬉しくありがたいことはない。今回、館山市立博物館吉田信明館長、町田達彦主任学芸員はじめ多くの方々にお世話になった。

 此処に深く感謝申し上げます。

 天国の父、寺崎武男もどんなに喜んでいることだろう。

 これを機会に父の絵が一人でも多くの人に見ていただけたら、また寺崎武男の画業を研究してくれる人が現れる糸口にこの展覧会がなれば、幸いである。

    2003年正月

寺崎裕則(てらさきひろのり)

 (画家寺崎武男の次男として昭和8年5月生まれる。千葉県立安房高等学校・学習院大学卒業後、演劇の道に進む。)