寺崎武男略年譜

西歴 元号 年齢 事項
1883年 明治16年 0 3月30日東京赤坂に誕生
1902年 明治35年 19 3月独乙学協会中学校卒業
9月東京美術学校予備課程入学
1904年 明治37年 21 このころ東京美術学校西洋画科で岩村透にイタリア美術史を学ぶ
1906年 明治39年 23 7・8月満韓旅行
1907年 明治40年 24 3月東京美術学校西洋画科本科卒業
4月イタリアに出発
農商務省留学生としてイタリアで図案および彫刻を学ぶ
1908年 明治41年 25 ベネツィア商業大学日本語教授(15年間)
1910年 明治43年 27 東京美術学校長正木直彦とパリ・ブリュクセル・ベルリン他を巡る
ヴィチェンツァ市テアトロ・オリンピコの「天正遣欧少年使節」壁画を、正木の依頼で模写する。
1913年 大正2年 30 ベルリン滞在
1915年 大正4年 32 フィレンツェ写生旅行
1916年 大正5年 33 帰国
1917年 大正6年 34 日本水彩画会展覧会出品
文展に「飛鳥朝の夢」(フレスコ)出品
光風会展にエッチング20点出品
3月黒坂勝美、藤懸静也と法隆寺へ
1918年 大正7年 35 国民美術協会主催の講演会で「ヴェニスの絵画」講演
日本創作版画協会創立
東京女子美術学校洋画科主任(2年間)
1919年 大正8年 36 日本創作版画協会展に多数のエッチングを出品。当時我国で唯一人のエッチング研究者といわれた。
12月再度渡欧。明治神宮奉賛会より絵画館のための壁画調査を依頼される。
1920年 大正9年 37 2月エジプト・カイロを見学
軍艦常盤に便乗してナポリへ
1921年 大正10年 38 チロル、パリ遊歴。大類伸とイタリア各地スケッチ旅行。
「ルネサンス諸大家の傑作20枚」を模写して日本・三井合名会社に発送。
1922年 大正11年 39 大類伸とシチリア島へ。
12月帰国
1923年 大正12年 40 1月絵画館事務嘱託
以後赤坂の自宅のアトリエに精美会研究所を作って絵画、芸術史を昭和23年まで指導する。
1926年 昭和1年 43 (大正15年)2月三越で個展
「黄帆船」東京帝室博物館買上げ
10月館山の別荘に滞在。『崋山』(アルス美術叢書・刊)執筆。
軍人勅論下賜の図制作。宮中において揮毫。
1927年 昭和2年 44 帝展に出品。官展に版画の出品が受理された最初。
1928年 昭和3年 45 館山市川名家「靄に煙るヴェニス」
長年の日伊親善の功績によりコンメンダトオレ・デルラ・コロンナ・デイタリヤ勲3等勲章授与される。
1929年 昭和4年 46 2月テンペラ画会展三越で開催。
1930年 昭和5年 47 洋風版画会創立同人
横山大観書簡
渡欧し、ローマ開催の日本美術展覧会をプロデュース。
ヴェニス市ビエンナーレ国際展にて「幻想」(観音)入選。イタリア政府に買上げられ、今もイタリア現代美術館に展示されている。
1931年 昭和6年 48 日本版画協会結成
1935年 昭和10年 52 国史絵画館を飾る壁画として、「天幕病院における貞明皇后」「広島大本営に於ける明治天皇」制作。
10月日本壁画家協会結成
安房神社「安房開拓神話」壁画
ラグーサ玉女書簡
1936年 昭和11年 53 文展招待展出品
白浜町下立松原神社「安房開拓神話」壁画10枚
1938年 昭和13年 55 文展無鑑査。
富浦町忍足家「コルチナ・ダンペッツオ」
1940年 昭和15年 57 紀元2600年の絵画を多数制作
館山市来福寺「文殊菩薩図」「悲母観音図」。
館山市諏訪神社祭壇画。
富浦町忍足家「天富命の図」
「房州の海」
1943年 昭和18年 60 「アッツ島の血の雪」「ミッドウェイ海戦」「艦と共に」など、昭和20年敗戦の日まで鎮魂の絵を画き続ける
1949年 昭和24年 66 法隆寺輪堂壁画の構想と下絵を画き始める
千葉県立安房第一高等学校美術講師4年間
1950年 昭和25年 67 安房美術会美術展出品
1952年 昭和27年 69 2月より法隆寺輪堂の壁画を描き始める
兵藤益夫書簡
1953年 昭和28年 70 この頃、西ノ浜町内会長を委嘱される
1954年 昭和29年 71 館山市川名家「弁財天像」
「主の洗礼」フレスコ壁画を目黒のサレジオ教会に描く
1955年 昭和30年 72 法隆寺輪堂壁画を完成
1956年 昭和31年 73 「キリシタン的文化史絵画-天正少年使節伝」14枚のテンペラ画を5年がかりで完成。
1957年 昭和32年 74 富山町勝善寺「ヴェニスの図」
1967年 昭和42年 84 2月16日永眠
4月寺崎武男回顧展開催。大類伸文学博士、作家三島由紀夫氏回顧展に寄稿。
2003年 平成15年 没後37年 生誕120年。館山市立博物館で展覧会開催。