【4】海をわたる干鰯(ほしか)

 江戸周辺の海上輸送では、押送船(おしょくりぶね)と五大力船(ごだいりきせん)という船が多く用いられました。押送船は、船の形が細く、また帆走(はんそう)と櫓漕(ろこ)ぎが併用できるため、スピードが求められる生魚の輸送に適していました。これに対し五大力船は、一度に大量の物資を輸送できる点が特徴です。安房の多くの村々にも、漁船の他にこれら輸送用の船がありました。

 干鰯・〆粕を扱う問屋は江戸と相模国浦賀(現神奈川県横須賀市)にあり、房総で生産された干鰯類は、地元で消費されるものを除き、これらの問屋に出荷しなければなりませんでした。陸路や河川輸送という手段がある他地域と異なり、安房は海運が唯一の輸送手段であり、五大力船を利用して江戸・浦賀へと干鰯が運ばれました。また、上総から安房へ干鰯加工用の生鰯を運ぶ際には、押送船が利用されています。

 さらに、安房の人々は、上総で生産された干鰯の海上輸送を担うこともありました。海上輸送は一度に多くの物資を運ぶことができるという利点がある一方、大型の船を所有するには資金力が必要であり、また難破のリスクも伴います。周りを海に囲まれた安房には、このような輸送を担うことができる船持・船乗りたちがおり、輸送者として干鰯・〆粕の流通に深く関わっていたのです。

40.五大力船(模型) 当館蔵
40.五大力船(模型)
当館蔵