明治時代になると漁場の沖合化がおこり、日本の水産業は沿岸漁業から沖合漁業へと移行します。それによって漁船の大型化や動力化が進むことになり、さらに外国船による日本沿海での操業もあって、北洋捕鯨や遠洋漁業への展開が図られました。水産業の近代化を進めようとした水産官僚の関沢明清{あけきよ}は、館山を拠点に様々な試みをしました。また各地の漁村で地域の水産業を改良しようとするリーダーが生まれてきたのも明治という時代でした。明治時代後半になると、政府は水産業の信仰のために水産試験場や講習所の設立を各県に促し、水産技術の向上や記述者の養成も図りました。