農業の近代化は、江戸時代に主流だった人力による鍬(くわ)の耕耘(こううん)から、牛馬による犂(すき)の耕耘への変化から始まったともいえます。深く耕すことが土壌改良に有益なうえ、明治初期に馬が引く西洋犂が紹介されたことがきっかけです。犂の導入は肥料分を分解するために水田を乾田(かんでん)に変えていくとともに、耕地を広げる区画整理と用水の排水工事を進展させ、さらに排水された水田は裏作も可能にしました。そして収穫を向上させるための稲作三要項が推進されました。
また、地租改正による土地の個人所有が認められたことで、様々な農作物を自由に作ることも可能になりました。商品作物が奨励され、東京に近い安房郡の気候風土に見合った蔬菜(そさい)の促成栽培も導入されました。
これらを推進したのが明治24年(1891)に成立された安房国同志農業会(のち安房郡農会)です。農業技術や情報を共有するための講習会や品評会の開催、講習施設の設置などが、老農や招聘(しょうへい)教師を中心に行われました。