江戸時代には一般の人々も旅を楽しむようになりました。この背景には、交通手段の発達や、神社参詣を支える組織の整備、生活レベルの向上などがあり、旅は信仰や仕事の手段だけでなく、それ自体が娯楽になっていきました。旅の目的も神社だけでなく景勝地や名所を巡るものとなり、地誌・道中記や名所絵などによって全国各地の名所やモデルコースが紹介されていきます。
房州にも人気の名所があり、多くの人が訪れました。内房では鋸山(のこぎりやま)(富津市・鋸南町)や那古寺(なごじ)(館山市)、外房では小湊(こみなと)誕生寺や清澄寺(ともに鴨川市)が広く知られていたようです。有名な神社や名所だけでなく、漁の風景や素朴な人々との出会いも魅力でした。江戸から房州を訪れる場合、船で行徳や木更津に渡り、そこから海沿いを歩いて南下する経路や、浦賀から船で保田(鋸南町)に入る経路などがありました。
明治時代に東京との間で汽船が就航すると、房州は身近で便利な観光地としての性格をより強くしていきます。この頃、外国人や明治政府の高官、実業家、文化人などの間では、余暇を保養地で過ごすことが流行し始め、また、病気治療や健康増進を目的とした海水浴も広まっていきました。この動きを背景に、明治以降の房州は「避暑・避寒の地」という魅力をアピールしていきます。江戸時代以来の名所めぐりに加え、暑さや寒さを避けられ、海水浴もできる健康増進の地という特徴が観光地・房州の魅力に加わったのでした。
房州の海の玄関口
11.初代歌川広重画「富士三十六景 房州保田ノ海岸」
安政5年(1858年) 当館蔵
山と海の景観を楽しむ
17.初代歌川広重画「山海見立相撲 安房小湊」
安政5年(1858年) 当館蔵
避暑避寒の地・房州のガイドブック
23.『避暑避寒房州案内』
明治42年(1909年) 当館蔵