6 文化交流の広がり

 浮世絵の創始者とされる菱川師宣(ひしかわもろのぶ)(生年不詳~1694)は、房州保田(鋸南町)の出身です。江戸に出て人気絵師となり、社会風俗を描いた作品は「浮世絵」と呼ばれました。江戸で活躍した師宣でしたが、晩年の有名な「見返り美人図」に至るまで、多くの作品の署名に房州を示す「房国」「房陽」と記しており、自らが房州出身であることの自負がうかがえます。

 師宣ほど著名な存在ではありませんが、江戸で文化活動を行う房州出身者は他にもいました。谷向(やむかい)村(南房総市)出身の鱸松塘(すずきしょうとう)は、江戸で漢詩のサークル「七曲吟社」を主宰し、全国に多くの門人を抱える漢詩人でした。また館山藩士の鈴木直方は、江戸の俳人である梅閑人為山(ばいかんじんいざん)に入門し、老梅居文雄(ろうばいきょあやお)の号で俳句をたしなみました。直方は江戸藩邸に勤務した時期があり、本務のかたわら江戸で俳句を楽しんだようです。江戸には数多くの文人が暮らしており、さまざまなコミュニティを通じて交流を重ねました。

 房州で暮らす人々も、江戸の文人と交流していました。平久里中村(南房総市)の医師・加藤霞石(かせき)は、漢詩のほか石の収集でも知られ、多くの著名な文人とも交流がありました。また、江戸時代後期には安房の村々で俳句が広く行われており、採点や添削指導を江戸の俳人に頼むこともありました。

54.菱川師宣画「鯛釣り恵比寿雀踊りの図」</br> 江戸時代前期 当館蔵

浮世絵の創始者は房州出身
54.菱川師宣画「鯛釣り恵比寿雀踊りの図」
江戸時代前期 当館蔵

64.安西谷水連歌採点帖</br> 江戸時代末~明治時代初 当館蔵

江戸の俳人に添削を依頼
64.安西谷水連歌採点帖
江戸時代末~明治時代初 当館蔵