3 資生堂創業

明治5年(1872)に海軍病院を辞職した福原有信は、矢野義徹・前田清則とともに「三精社」を興し、薬舗事業を行うことを決意します。この計画はすぐに実現し、同年6月、有信は東京新橋出雲町(現銀座7丁目)に日本初の民間洋風調剤薬局を開業します。さらに8月には、軍医頭の松本良順と三精社との共同経営により、東京本町1丁目に西洋薬舗会社「資生堂」を開業しました(のちに売却)。これにより、出雲町の調剤薬局も「資生堂」を称していきます。

調剤薬局の資生堂では、明治11年(1878)から売薬・製造販売も行うようになりました。なかでも明治21年(1888)に発売した日本初の練り歯磨「福原衛生歯磨石鹸」は評判となりました。さらに明治30年(1897)には化粧品事業に進出し、西洋薬学の処方による化粧水「オイデルミン」を発売しました。

この他、明治21年には創立者の1人として帝国生命保険会社(現・朝日生命保険相互会社)の創業に関わり、その後、社長として長年経営を主導しました。

『改正音訓 易経(えききょう)』坤(こん)部
文化9年(1812) 館山市立博物館所蔵