福原有信は青年時代に故郷の松岡を離れましたが、その後も安房地域と交流を重ねています。
有信・徳夫妻の長女とりは、明治24年(1891)に館山病院を創業した川名博夫と結婚しました。この関係により、福原家は関東大震災で被災した館山病院の再建を支援したと言われています。また、地元出身の実業家として、安房地域最初の銀行である安房銀行の創業にも関わりました。この他、学校用備品の寄贈や選挙応援など、有信と安房地域との交流が確認できます。
明治42年(1909)、福原家は菩提寺を松岡の正見院から、館山市大神宮の遍智院(小塚大師)に移しました。これを記念して奉納した幕が現在も残っています。
また出身地の鎮守(ちんじゅ)である松岡八幡宮には、明治44年に鳥居を奉納しており、現在も建つ鳥居に有信の名が刻まれています。松岡地区では現在も、創業者の出身地という縁により交流が続いています。

明治40年(1907)11月29日 館山市立博物館所蔵

大正13年(1924) 館山市立博物館所蔵