館山の唐棧織は、明治の初め頃、初代の茂助(もすけ)氏が東京蔵前に設けられた授産所(じゅさんじょ)という職業訓練所で唐棧織の技術を伝習し、館山に持ち帰ったのが始まりです。明治維新によって手に職を持たない旧武士達を救済するためにつくられた授産所には、埼玉県川越から「川唐(川越唐棧)」の職人が招かれたそうです。
茂助氏は現在の千葉県白井(しろい)市の出身でしたが、あまり体が強くなかったので、温暖な気候で妻の生地に近い館山で仕事をするようになったようです。
![齊藤茂助](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0020-004-02-01.jpg)
![茂助氏愛用の縞帳](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0020-004-02-02.jpg)
館山の唐棧織は、明治の初め頃、初代の茂助(もすけ)氏が東京蔵前に設けられた授産所(じゅさんじょ)という職業訓練所で唐棧織の技術を伝習し、館山に持ち帰ったのが始まりです。明治維新によって手に職を持たない旧武士達を救済するためにつくられた授産所には、埼玉県川越から「川唐(川越唐棧)」の職人が招かれたそうです。
茂助氏は現在の千葉県白井(しろい)市の出身でしたが、あまり体が強くなかったので、温暖な気候で妻の生地に近い館山で仕事をするようになったようです。