第2章 安房に広がる「やぐら」

 「やぐら」は、鎌倉を中心とした地域に集中的につくられた、中世の武士・僧侶階級の納骨所・供養施設です。山腹を方形にくりぬき、壁は垂直、床と天井は水平で、床面に納骨穴が掘られ、その上に五輪塔などの供養塔が安置されています。

 東京湾を挟んだ房総半島南部にも、数多く分布しており、なかでも、富津市、南房総市の旧丸山町・富浦町・三芳村、そして館山市の九重地区に濃密な分布が見られます。

 房総にやぐらが数多く存在する理由として、武士階級のつながりや鎌倉寺社領の広がり、東京湾の海上交通などが考えられます。房総のやぐらは、古墳時代の横穴墓を中世に転用した例が極めて多く、中世の房総の人びとが、やぐらを掘る手間を省く合理的な精神を持っていたのではないかと推測させるほどで、この地域のやぐらの総数の半数近くが、横穴墓を転用しています。また、やぐらが密集する地域が、鎌倉の寺社領と重なっていることが、文献資料から知られています。

水岡やぐら(館山市水岡)
水岡やぐら(館山市水岡)