屋外展示場

 博物館の中庭は「屋外展示場」です。道のかたわらや、墓地のかたすみにひっそりとたっていた五輪塔や道標など石の文化財を展示しています。

宝篋院塔 正木和幸氏蔵

宝篋院陀羅尼経を収める供養塔。この塔は稲村城の一画から発見されたもので、室町時代につくられたものです。

五輪塔 国分寺蔵

空、風、火、水、地、つまり全宇宙を表す五輪からなる塔。墓石として用いられることもありますが供養塔として建てられることが多い。この塔は、市内で最も古いものです。

道標 石井多計麿氏寄贈

もと長須賀の来福寺のそばにあった道標です。江戸の中ごろのもので、ここの一の宮とは今の洲崎神社のことです。

三山碑 西光寺蔵

江戸時代の後半、西は伊勢神宮、北は出羽三山など観光と信仰を兼ねた旅が庶民のものとなってきました。出羽に参拝した人々が帰国するとその記念に石碑を建てることが流行しました。

武人像 小田喜きん一郎氏蔵

明治の頃、館山城の山麓から五輪塔が発見され、里見氏の関係の墓とのうわさが流れました。そこで附近の人が供養のためにつくったものです。

道標 竹原区管理

旧道の加茂坂にあった道標です。江戸時代の末期、その付近の寺子屋の師匠を記念して加茂村の筆子たちが建てたものです。

ビデオルーム

 入館者が、随意にプログラムを選択できる映像展示を行っています。

 12の番組を、ランダムにアクセスできるビデオ装置が2台設置され、26インチのモニターテレビに映し出されるものです。

 番組の内容は、館山市の紹介や、地元文化財の案内、各種の祭りや、里見氏に関するものが主ですが、今後、ライブラリーとしての充実を図っていきます。

チャレンジコーナー 

 「石のナイフ」のコーナーでは、黒曜石のエッジの切れ味を、実際に試すことができます。

 「土器のもよう」のコーナーは、撚り紐(よりひも)などを使い、粘土板に縄文をつけることができます。

 「土器の復元」コーナは、県内出土土器(レプリカ)の復元が実際に体験できるもので、電磁力による仕掛けで、立体ジグソーパズルとなっています。

 「歴史クイズ」のコーナーは、プールされた問題の中より、コンピューターがランダムに選んで10問出題します。館内をよく見学すれば答えられる、やさしい問題がほとんどです。

黒曜石の切れ味を試す

粘土板に縄文をつける

加曽利E式土器(荒屋敷遺跡出土)
房総風土記の丘(現房総のむら)保管

土器復元パズル

歴史クイズ

コンピュータによる出題例

目で見る歴史 

 小さな子供たちにも分かりやすく歴史の流れを知ってもらうため「子供絵年表」を作りました。太古から現代までの移り変わりを、写真やイラスト、約100枚使って示したもので、房州に縁の深い菱川師宣(もろのぶ)の「見返り美人図」や、青木繁の「海の幸」などもあります。

 また、「安房開拓神話」について、『古語拾遺(こごしゅうい)』や、『忌部(いんべ)系図』をもとにして、忌部氏による安房の開拓伝説を、オート・スライドにより上映しています。

 そのほか「農器具の歴史」として、千歯扱(せんばこ)きや、万石通し、唐箕(とうみ)などが展示されています。

子供絵年表

農具の歴史

安房開拓神話・スライド

大むかしの暮らし

 子供たちに関心の深い「大むかしの人びとの暮らし」について、4枚の想像図を使って構成するとともに、実際の生活のあり方をいくつかピックアップしています。

 石器の材料となった岩石と、石器の製作方法を、石斧や石匙(せきひ)・鏃(やじり)などを例にしての展示や、縄文人の食べ物についてを、貝塚の標本とともに、貝塚から出土したシカやイノシシなどの獣骨、ハイガイやサルボウなどの貝殻で展示しています。

 また、安房で発掘調査された資料をもとに、堅穴住居の実物大の模型を復元しています。

先土器時代

縄文時代

弥生時代

古墳時代

石器として利用された石

石器のいろいろ

石器の製作過程

大むかしの食べ物

堅穴住居 (実物大模型)

骨角器のいろいろ

子供展示室

 小・中学生が、歴史に親しむ場として、子供展示室を設定しました。

 楽しく、そして分かりやすくということから、「大むかしの暮らし」をメインテーマとして、“触れて考える”ことのできる展示構成となっています。

 大人の方にも、一般展示室の復習のつもりで見ていただくことができます。

子供展示室(第三展示室)のようす

ステージ展示 きこり

 山村の農家では、米作りがおわって、冬になると、山に入り、雑木林のトウジイやナラなどを切って、炭焼きの仕事をしたり、薪を作りました。薪や灰は、自分の家で使うほか、町場に出荷しました。一年中、炭焼きの仕事をしている人もいました。

 林のヤマシは、山の立木を買いとると、サキヤマを頭(かしら)にして、ソマ、コビキ、ダシの人夫を山に行かせて、伐採をして、造材し、山からおろしました。

山で伐採した丸太は、そのままでは重いので山中に、レンガケとよぶこの仕掛けをつくり、板に挽いてから山から搬出します。

この写真は、昭和28年1月に、鴨川の西条村花房の山林にあった松の大木を館山の木挽仲間が伐採したときの記念写真です。これで、造材した木は、銘木として東京に出荷されたそうです。

育成(いくせい)

森林(しんりん)の育成は長い年月がかかる仕事で、苗木(なえぎ)の植付(うえつ)けから、下刈(したか)り・間伐(かんばつ)・枝打(えだう)ちといった作業が長年にわたって、根気よくつづけられます。

伐採(ばっさい)

立木を倒(たお)すには、まず倒そうとする方向から根切りヨキで切れ目を入れ、反対側からネギリノコを入れて、思う方向に倒す。

製材(せいざい)

伐採した木は、大木の場合ある程度、山で加工し、軽くする。
この仕事をソマとかコビキという。

ダシ

伐採した材木を山の傾斜や川を利用して、目的地まで運ぶ仕事をダシという。

ものおき

 大きい農家では、長屋門を建てて、馬屋(うまや)と物置(ものおき)をそのなかにつくりました。

 雨の日など、野外の仕事ができないときには、この物置の土間で、縄ないや、むしろあみの仕事をしました。

 馬や牛は、田や畑をたがやすのに大きな力となり、大事にされました。

おもや

 分棟型といって、母屋からカマドのある土間を切り離して別棟にし、2~3メートル離して、ローカと呼ぶ相の間でつなぐ民家は、県内では安房地方だけにみられるものとして有名です。

 こうした、狭い敷地内に母屋以外の家屋が並びたつ屋敷構は、黒潮にそって、南西諸島から太平洋岸の地域に点在していますが、特に、母屋からカマドの棟を別にする理由は、カマドの火を穢すまいとする考え方や、すすなどの汚れ、火災、暑気を避けるためなど考えられます。採暖の必要がある所では、火所は居室内に置かれますが、暖地ではその必要がないため別棟とする傾向が強かったと考えられています。

 復元した民家は、館山市畑にあり、江戸時代のはじめころ(17世紀)に建てられたと推定される、現存する民家としては、安房で最も古いとされます。別棟型民家の母屋として古様を示し、当初は母屋と炊事場が別々になっていましたが、後の改造で、ローカによって二棟をつなぐかたちになったと推定されています。復元にあったては、改造前の元禄のころの姿にもどしました。

指導 千葉大学工学部 大河直躬先生、丸山純先生

安房の別棟型の平面と屋根伏 江戸時代末期

旧尾形家住宅(重要文化財)
 丸山町石堂寺裏