2 要塞地帯の人々

要塞地帯とは、国防のために建設した建物を保護するために設けられた区域のことで、明治32年(1899)に公布された要塞地帯法によって範囲が定められました。東京湾要塞は、横浜市南部と鎌倉西端を結ぶ線以南の三浦半島の一帯と、千葉県富津当方と房総半島南端の野島崎を結ぶ線以西の海岸線に沿う地域です。要塞地帯では要塞司令官の許可がなければ、撮影・模写・測量・出入等が禁止、制限されていました。館山には憲兵隊も置かれ、厳しい監視が行われるようになります。特に日中戦争が始まった昭和12年(1937)以降は規制が厳しくなり、昭和14年(1939)に館山北条町が発行した町勢要覧では、館山海軍航空隊基地が地図から消され、要塞地帯の注意事項が追加されています。

館山は東京湾の入口として国防の重要拠点でありながらも、避暑避寒に適していることから多くの観光客が訪れる地でもありました。昭和12年(1937)まで館山を訪れる観光客数は伸びていましたが、次第に観光客への規制も厳しくなって行きます。禁止事項を知らずに撮影をして要塞地帯法に違反する人も多く、地域に居住する人々に限らず要塞地帯を訪れる人々にも知られるよう地図の発行等周知活動が行われました。また、観光地である館山では絵はがきが多く発行されましたが、館山湾内の地形がわかる絵はがきからは山が消されています。

さらに、主要施設に近い第一区では、建物の増改築や竹木の伐採、焚き火、狩猟・漁撈などをするにも許可を受けなければならず、砲台周辺地域にある自分の山に入るにも許可証を携帯するなど、要塞地帯内の機密保持は生活に影響していました。

房総観光御案内 昭和12年(1937)
房総観光御案内 昭和12年(1937)
房総観光御案内 昭和14年(1939)
房総観光御案内 昭和14年(1939)