3 軍事施設と軍人の生活

館山は海軍の拠点としても重要な役割を担いました。東京湾要塞地帯内には陸軍の砲台だけでなく海軍の施設も設置されています。第1次世界大戦では航空機が兵器として使われ、第2次世界大戦では航空機による戦闘が中心となっていきます。昭和5年(1930)には館山海軍航空隊が開隊しました。

昭和12年(1937)に日中戦争、昭和16年(1941)には太平洋戦争が始まり、日本は国を挙げて戦時体制へと向かっていきました。昭和16年(1941)には館山海軍砲術学校、昭和18年(1943)には洲埼海軍航空隊が創設されました。

他にも、特攻艇の「震洋」を用いる第59震洋隊、横須賀防備隊、第2海軍航空廠館山補給工場、横須賀軍需部館山支庫といったさまざまな所属の施設がつくられ、多くの軍人が館山に滞在しました。また、軍人ではない人々も軍事施設で働いています。

絵はがき「館山海軍航空隊 航空機」 昭和10年(1935)
絵はがき「館山海軍航空隊 航空機」 昭和10年(1935)