昭和20年(1945)9月3日、終戦後の館山には占領政策のためアメリカ軍軍人約3,000人が上陸しました。アメリカ軍の上陸後は軍政参謀課が設置され、学校・劇場・酒場が閉鎖され、市民の夜間外出禁止が命じられました。当時の新聞はこの数日間の制限を占領軍による「軍政」と報じています。また、館山各地の日本軍は撤退し、砲台や軍事施設はアメリカ軍によって解体されましたが、砲台の土台や施設の一部は残り、さらにその一部が畑や学校等に再利用されました。
軍に関わる情報は軍事機密として取り扱われ、戦後は文書の多くが焼却されたため、戦時中の館山の状況は今もわからないことが多くあります。しかし、資料を残し、戦争遺跡を調べ、戦争の記憶を伝えようとする人々の活動によって調査が進んできました。戦後80年を迎え、戦争経験者や遺族が減り、各地に残っていた戦争遺跡は開発や老朽化により数を減らしています。戦争の記録と記憶を未来へ引き継ぐ方法のひとつとして地域資料の重要性は高まっており、その保存と活用は今後の課題です。
