館山市立博物館が、平成元年度から4年度にかけて行った川名楽山関係調査により個人18家と、安房地方の18カ所の社寺に65点の川名楽山の作品が残されていることが確認できた(「川名楽山関係作品目録」参照)。個人は、以前神官を務めていた家が多く、楽山の交友範囲の一端が窺える。残念ながら個人所蔵の作品すべてを把握するには限界があり、今後も未確認の作品が数多く発掘できるのものと考えられる。18カ所の社寺の分布をみると、鋸南町1、富山町3、富浦町2、三芳村1、館山市5、千倉町2、丸山町1、和田町1、鴨川市1、天津小湊町1となり、このことから川名楽山の活動範囲は、概ね内房地区を中心としたものであったと推測できる。現在のところ、号「楽翁」使用の初見資料が館山市那古寺の絵馬「諸尊来迎図」(図版9)であり、この作品が制作された明治14年(1881)前を前期、それ以降を後期として、川名楽山の画業について概観していきたい。