年号 | 年令 | できごと | 画業 |
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天保3年(1832) | 1 | 5月 安房郡沼村(現館山市沼)で川名六左衛門正直の次男として生まれる。男3人女1人の4人兄弟。幼名常吉 | |
弘化4年(1847) | 16 | 10月26日 祖父川名六左衛門正直(沼村名主)の肖像画を描く。号楽山〔「実相院肖像図」(図版1)〕 | |
未詳 | 江戸銀座役人北川武八(号等楫)の嗣子となり、武八や岡島素岡に絵を学ぶ。 | ||
嘉永3年(1850) | 19 | 6月 父正直、稲葉正巳に従い上坂中大坂で没す。 | 5月 幕府御用絵師狩野探龍のもとで幕府絵画方として日光東照宮の修繕に従う。(~9月) |
嘉永4年(1851) | 20 | 6月 館山藩画学教授として藩主稲葉正巳に召され、のち郡奉行も勤める。称録助 | |
安政7年(1860) 万延元年(1860) |
29 | 「二十三夜勢至菩薩像図」(図版2)・「延命普賢菩薩像図」(図版3)制作 | |
明治2年(1869) | 38 | 11月 館山藩二等郡吏兼会計吏に任じられる。 | |
明治3年(1870) | 39 | 閏10月19日 館山藩権大属に任じられ、民政専務として4人扶持を賜る。この時から敬事と名乗る。 | |
明治4年(1871) | 40 | 11月13日 館山県廃止により、離禄する。 | |
明治5年(1872) | 41 | 安房神社権祢宜となり、同28日教部省少講義に任じられる。 | |
明治6年(1873) | 42 | 養子孝之助(後に孝雄)、東京に遊学(英文・算数)する。時に14歳 | 1月 三芳村山名の智光寺観音堂に、絵馬「江州石山寺琵琶湖八景眺望図」(図版4)を描く。 |
明治8年(1875) | 44 | 10月9日 安房神社祢宜に昇進し、権中講義になる。 12月12日 神道事務局大教正稲葉正邦より、千葉県下第二神道事務支局副長を命じられる。 |
8月 「孔雀牡丹図」(図版5)制作 |
明治9年(1876) | 45 | 6月8日 神道第三部所管に属し、事務を行う。 | |
明治10年(1877) | 46 | 2月17日 神道事務支局より、生徒寮教輔を命じられる。 6月13日 館山学校へ学資金3円85銭を寄付したことにより、千葉県より感謝状を贈られる。 |
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明治11年(1878) | 47 | 2月16日 安房神社主典に任じられる。 6月29日 神道事務局より、千葉県下神道事務分局副長を命じられる。 11月8日 神道事務局より、神殿建築寄付金取纏周旋掛を命じられる。 |
2月 「花鳥図」(図版6)を描く。 11月 「霊峰雲霧図」(図版7)制作 |
明治12年(1879) | 48 | 7月29日 安房神社祢宜に昇進する。 | |
明治13年(1880) | 49 | 2月24日 安房神社祢宜を辞める。 3月 館山町戸長となる。 5月26日 大津学校学頭の養子孝雄(号耕雲)没。享年21歳。 7月24日 安房神道事務分局より安房郡部長および講師を命じられる。 10月 安房神社祢宜に再任され、少講義となり、館山戸長を辞める。 |
1月 「茄子図」(図版8)を描く。 |
明治14年(1881) | 50 | 10月30日 神習教会の降祥会副会賛(一等会員)になる。 | 7月6日 館山市那古寺の絵馬「諸尊来迎図」(図版9)を制作。〔現在のところ、号「楽翁」使用の初見〕 |
明治15年(1882) | 51 | 6月27日 内務省中講義に任じられる。 11月26日 神習教神殿建築発起周旋の担当を命じられる。 |
5月15日 千倉町高家神社の絵馬「天岩戸図」(図版10)を描く。 |
明治16年(1883) | 52 | 4月20日 内務省権大講義に任じられる。 | 9月 「花鳥図」(図版11)制作 |
明治17年(1884) | 53 | 10月20日 神習教会で大講義に任じられる。(政府の教導職廃止による) | 4月11日 第二回内国絵画共進会に弟子の木村貞吉(号雲山)、松下雄之輔(号翠幹)とともに作品を出品。 5月 「端午飾図」(図版12)制作 |
明治18年(1885) | 54 | 6月 千倉町川合愛宕神社の絵馬「富士巻狩図」(図版16)を描く。 8月 館山市見物東伝寺の「豊干寒山拾得図」(図版15)制作 東洋絵画共進会へ出品するため「龍驤虎視図」(図版13・14)を制作 |
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明治19年(1886) | 55 | 6月13日 神習教会で権少教正に任じられる。 大成教会員および安房大道会幹事として活動。 |
4月1日 東洋絵画共進会へ出品。三等褒状を授与される。 4月 千倉町川合愛宕神社の絵馬「八百万神図」(図版19)を制作 5月 「中国人物図」(図版20)を描く。 8月 「六歌仙図」(図版17)制作 富山町二部の勝善寺に「雲龍図」(図版18)を描く。 |
明治20年(1887) | 56 | 10月 父母の肖像画〔「智見院・智浄院肖像図」(図版21)〕を描く。 | |
明治21年(1888) | 57 | 3月 館山町失火に際して、米五俵を寄付する。同年9月24日、千葉県知事より感謝状が贈られる。 | 5月 「七福神図」(図版23)制作 7月 和田町中三原正文寺の絵馬「日蓮鎌倉帰着之図」(図版22)を描く。 |
明治22年(1889) | 58 | 1月 丸山町沓見莫越山神社の絵馬「莫越山神社正遷宮上棟祭式図」(図版25)を制作 5月 「鈴木氏夫妻肖像図」(図版26)を描く。 6月 富浦町原岡長泉寺に「十六羅漢図」(図版24)を描く。 |
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明治23年(1890) | 59 | 3月25日 神習教会で少教正に任じられる。 | 4月 天津小湊町清澄寺の絵馬「恵比寿・大黒天図」(図版28)を描く。 4月 「草盧三顧図」(図版27)制作 |
明治24年(1891) | 60 | 4月 館山市洲宮袋畑墓地の墓碑の下絵〔「渡辺義重肖像図」(図版34)〕を作成 5月 館山市山萩宝幢院に「飛天図」「蟠龍図」「鶴図」「菊図・山水図」(図版30・31・29・32)を弟子の木村雲山とともに描く。 5月 館山市北条不動院の絵馬「不動尊礼拝図」(図版35)を制作 10月 富山町合戸福満寺に「飛天図」(図版33)を描く。 |
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明治25年(1982) | 61 | 10月21日 没 10月23日 神習教会より中教正に追補される。 10月27日 神習教会、川名敬事に謚号を贈る。「豊明道臣彦命」 |
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明治33年(1900) | 10月 館山市沼の天満神社境内に「楽山翁碑」が建てられる。(明治34年12月21日認可) |