川名楽山の残した作品の上からみる前期とは、楽山が16歳時から49歳時と、その人生の大部分を占める時期である。ところが制作時期の明確な作品35点中8点と、前期の作品数は極めて少ない。後に詳述するがこの時期は、明治維新という社会の一大変革期に、多くの画家達が生活の基盤を奪われ、方向を見失って虚脱化していた時期でもあり、このことが楽山の作画活動にも少なからず影響を与えていたとも考えることができる。
現在江戸期の作品は3点と確認されているが、弘化4年(1847)に祖父川名義正を描いた「実相院肖像図」(図版1)が最も古い。肖像画制作は狩野派の御家芸の一つであり、この作品も独特の肥痩のはげしい力強い描線でくくられ、一種の類型的な様式でまとめられている。楽山は江戸で絵を学ぶ以前に、安房の地で狩野派画家の影響を受けていたのかもしれない。