万里小路通房略年譜

年号 年令 日付 できごと
嘉永元年
(1848)
1 5月27日 堂上公家(名家)正二位万里小路博房の長男として生まれる
安政4年
(1857)
10 元服昇殿して従五位に叙せられる
文久3年
(1863)
16 4月6日 執奏として丹波国常照寺へ参向する
8月12日 政変により父博房が差控を命じられる
慶応元年
(1865)
18 1月 前年7月の禁門の変での精勤を賞され、幕府献納の内より金30両を受領する
10月 右少弁に任じられる
  3年
(1867)
20 12月 王政復古に際して書記御用掛となる
明治元年
(1868)
21 2月 京都大原野神社の大原野祭で弁を勤め、参向する
2月20日 参与助役から参与に任ぜられ(~閏4月21日)、軍防事務局親兵掛となる
閏4月 関東監察使三条実美に随行して江戸へ下り、権右中弁に任じられる
閏4月21日 従四位下に叙せられる
7月10日 錦旗奉行河鰭實文上京にあたり錦旗奉行加勢を命じられる
  29日 鎮将府弁事に任じられる
8月2日 御旗監に任じられ、参謀助勤となる
  9日 大総督府(有栖川宮)参謀を兼ねる
奥羽追討のため参謀として、東北へ出征
10月2日 会津残党による水戸城襲撃の騒乱鎮定の命を受ける
  30日 東北平定の功を賞され、天皇より品を賜る
11月2日 軍務官副知事助勤を命じられ(~12月1日)、東京在勤となる
  2年
(1869)
22 2月 勅使として山口に赴き、毛利敬親に召命の宸翰を伝達する
6月2日 戊辰の戦功により賞典禄百石を永世下賜される
  3年
(1870年)
23 3月 天皇の講学に内番として陪侍する
11月 官費による英国留学を命じられる
  7年
(1874年)
27 7月8日 帰国し、その後工部省御用掛・宮内省御用掛など歴任
  8年
(1875年)
28 5月 嫡子直房生れる(母八重子)
  15年
(1882)
35 5月 千葉県下八街における春期近衛小演習の天皇視察に、宮内省御用掛として随行し、地雷爆破跡を巡検する
11月 宮内省の侍従に任じられる(17.3.27再任~23.9.16非職)
  17年
(1884)
37 2月22日 父博房没す(61才)
4月 家督を継ぐ
7月 華族令発布により、伯爵を授けられる
  18年
(1885)
38 7月 天皇より乗馬一頭を賜る
  20年
(1887)
40 鴨川町の烈婦畠山勇子、東京の万里小路家に奉公する
  21年
(1888)
41 2月 北九州へ陸軍参謀旅行に派遣される
宮内省(主馬寮)の御用により、房州峯岡牧場を視察するという
  22年
(1889)
42 3月 北海道新冠御料牧場の視察に派遣される
  23年
(1890)
43 9月16日 侍従職をやめる
  24年
(1891)
44 2月 貴族議員となる
  25年
(1892)
45 1月 この時までに北条海岸の別荘地を取得する
12月 豊田村莫越山神社の額面の揮毫を小松宮へ仲介する
  26年
(1893)
46 11月 北条町六軒町の高山恒三郎、通房をとおして菊花を天覧に供す
  27年
(1894)
47 6月 館野村稲に田を取得する
8月 北条町に農園(現市役所の地)を取得する
  28年
(1895)
48 宮内省御料局技師(新宿植物苑主任)福羽逸人を北条の別邸に招き、促成栽培の指導を受け、家庭園芸として胡瓜・茄子などを栽培する
1月 安房国農会に農業牧師を紹介し、農事講習所および試験場経費として金50円を寄付する
また安房国農会に図って促成栽培講習会を開催し、2月に3名が新宿御苑に派遣され、翌年6月まで実地伝習をうける
6月 北条町小原遊園に、征清兵士の凱旋を迎え、紙巻タバコ5000本を寄贈する
安房平朝夷長狭郡部医会に乞われて凱旋兵士出迎えの大旗に揮毫する
  29年
(1896)
49 9月 和田町の庄司長次右衛門の次男鈴木徳治郎の日清戦争の碑に揮毫する
12月 北条町木村屋楼上で蔬菜品評会を主催する
  30年
(1897)
50 1月 英照皇太后の御葬祭斎官をつとめる
3月 豊田村の日清戦争戦没者二名の碑に揮毫する
11月 八重子夫人没す
館山町青柳の日枝神社に扁額を揮毫する
  31年
(1898)
51 3月 北条町へ本籍を移す
  32年
(1899)
52 北条町の農家に指導農場でなす栽培技術を指導する
  33年
(1900)
53 10月 安房神社祢宜川名楽山の記念碑に篆額する
  34年
(1901)
54 9月 北清事変で戦死した西岬村坂田の鎌田萬次郎の碑に篆額する
  35年
(1902)
55 2月 館山町の前田伯志の俳誌『房の栞』に題字を寄せる
2月 南三原村の加藤七平著『安房孝子伝』に題字を寄せる
隣町の彫物師後藤義光の米寿の記念碑に篆額する
5月 安房中学校開校を祝し祝歌を寄せる
5月 北条の大工棟梁石井栄太郎の子に名前をつける
5月 豊田村沓見の吉野九左衛門妻伊勢の孝女碑に篆額する
  36年
(1903)
56 3月 安房大道会の会長となる
3月 孫の芳房が生まれる
  38年
(1905)
58 3月 那古町那古寺の和泉式部廟雨覆等建築費を奉納する
3月 北条町浜通に土地を取得(昭和通り沿い)
  39年
(1906)
59 2月 日露戦争凱旋記念の三重盃を配布する
3月 館野村稲の農会員山口梅寿(五平)の寿碑に揮毫する
10月 館山町の俳人前田伯志の喜寿を祝う俳誌『残の雪』に一句を寄せる
11月 日露戦争で戦死した館山町の吉田馬之助の碑に揮毫する
  40年
(1907)
60 2月 船形町の川名宗寿の記念碑に揮毫する
5月 丸村丸本郷の農会員松田市五郎の子に名前をつける
7月 日露戦争で戦死した北条町の石原金太郎忠魂碑に篆額する
7月 従二位に叙せられる
9月 長男の正五位直房没す(33才)
  41年
(1908)
61 この頃、安房中教諭斎藤東湾著『安房志』に題字を寄せる
  43年
(1910)
63 豊房村作名の諏訪神社社号碑・額を揮毫し翌年1月建立
  44年
(1911)
64 9月 作名の諏訪神社境内にモッコクの木を植える
  45年
(1912)
65 1月 明治天皇より下賜の菓子鉢を家令の高山恒三郎にあたえる
大正元年
(1912)
65 7月 明治天皇大喪で大喪使祭官副長をちとめる(~9月)
  2年
(1913)
66 4月13日から19日までの一時、北条町長となる
7月 明治45年7月に没した斎藤東湾の記念碑に篆額する
10月 北条小学校運動会のため例年通り寄付金を出す
  4年
(1915)
68 8月 安房農会五老の一人で安房大道会の幹事秋山弘道の寿碑に篆額する
12月 代37回常会の貴族院資格審査委員会委員長をつとめる
  5年
(1916)
69 5月 郡立安房高等女学校(安房南高)の校歌を作詞する
  7年
(1918)
71 9月 豊津村宮城の元名主宮木久左衛門の記念碑に篆額する
  9年
(1920)
73 6月 日本弘道会安房支会を発足し、顧問になる
7月 元和田町長屋代市左衛門記念碑に篆額する
  10年
(1921)
74 3月 孫の芳房、安房中を卒業する
4月 北条町六軒町諏訪神社の合祀記念碑に篆額する
7月 安房郡農会五老の一人加藤七平の表彰碑に篆額する
  11年
(1922)
75 11月 第4回県下中等学校柔剣道大会で優勝した安房中の凱旋を迎える
  12年
(1923)
76 9月 関東大震災で新塩場の別邸が倒壊、浜は倒壊を免れる。また安房郡震災復興会の顧問となり、復興のため1000円寄付している
  13年
(1924)
77 9月 貴族院議員を引退する
  14年
(1925)
78 7月 館野村萱野の三義民刑場跡の記念碑に揮毫する
8月 震災記念観音堂建設にあたり額に揮毫する
  15年
(1926)
79 4月 『千葉県安房郡誌』に題字を寄せる
5月 館山村山本の大正堰が竣工し、記念碑に篆額を寄せる
昭和2年
(1927)
80 傘寿を記念して菓子折りを作り、配布する
  3年
(1928)
81 三瓶今朝吉の理髪店改行10周年を記念して書を贈る
  5年
(1930)
83 3月 船形町の正木清一郎寿像除幕に際して歌を寄せる
  6年
(1931)
84 9月 安房郡農会五老会のひとり主基村田中儀平の碑に篆額を寄せる
  7年
(1932)
85 3月4日 北条海岸の屋敷で没す
左:111.通房植樹のモッコクの木 <作名諏訪神社>(明治44年) 右:妙定院の万里小路家墓所(東京都港区)
左:111.通房植樹のモッコクの木 <作名諏訪神社>(明治44年)
右:妙定院の万里小路家墓所(東京都港区)