3.館山の日本刀鍛錬伝習

 昭和14年に独立した昭房は、故郷安房に帰り鍛刀技術の研鑚に勤めます。やがて相伝備前の鍛法を研究し、高度な技法を体得しました。「人は刀を鍛え、刀は人の心を磨く」を信条とする真摯な態度や、神仏に対する敬虔な思いは、師昭秀の薫陶によるものだと思われます。

 紀元2600年祭を迎えるにあたり、奉納刀剣の制作依頼が多く寄せられました。鶴谷八幡宮、安房神社、香取神社などへの奉納太刀をはじめ、数多くの刀剣を製作しています。

 昭和16年応召により中国に渡り、終戦まで軍役に付きますが、その時見た桂林の幽玄な大自然の風景を刃紋に表現したいと生涯思うようになったそうです。

 終戦後は進駐軍の指令で刀が造れない時代でしたが、特別な許可が下りて、昭房に伊勢神宮の奉納太刀の制作依頼がきました。

 その後許可を受ければ造れるようになりますが、戦後のことでしたので買い手が無く、しばらく刀匠受難の時代が続きます。

 刀鍛冶が天職と頑張っている昭房の姿を見た地元の刀剣を愛する有志が集まり、後援会組織を作って頒布会や展覧会を行ってくれました。こうして地元の人々に支えられた昭房は、他の者ではない石井昭房自身の刀剣を追い求め、更に研究精進を続けることができました。

 昭房は昭和32年に館山市無形文化財、昭和37年に千葉県重要無形文化財伝統技術保持者として指定されています。また昭和40年から24年間という長い間、銃砲刀剣類登録審査員を勤め、千葉県の刀剣文化財の保護と指導の任にあたりました。

 こんな昭房に対して、師昭秀は晩年弟子の須永昭久に指示して、「日本刀鍛錬伝習所」の看板を贈ります。こうして伝統ある日本刀鍛錬伝習所は昭房に引き継がれたのでした。

 昭和42年千葉県、及び館山市の助成により「刀剣の鍛錬道場ならびに展示場」を館山市安布里の地に開設しました。ここに「日本刀鍛錬伝習所」の看板が掲げられたのはいうまでもありません。

 生涯刀剣に学び、人を愛し、郷土の自然と文化、歴史を愛した昭房は、市民とともに館山城の建設実現に奔走し、博物館においては、無料刀剣相談会を開くなど、常に市民とともにいました。

 その功績により、昭和61年地域文化振興による文部大臣表彰を、昭和63年には勲五等瑞宝章が贈られています。

刀匠の碑
「人は刀を鍛え、刀は人の心を磨く」
館山の日本刀鍛錬伝習所
館山の日本刀鍛錬伝習所