国札観音の開帳にあわせた巡礼では、札所の人々による接待や巡礼道の整備、善根宿という無料の宿泊所の提供などがあり、それが巡礼を迎える人々にとっての功徳になりました。那古寺には坂東札所の霊場として多くの参詣者が訪れたと思われます。那古の浜へは船の出入りがあり、隣接する船形にも湊がありましたから、人の往来だけでなく物資の集積もこの町にあったのでしょう。
江戸時代には那古寺の門前に町場が形成されていました。寛政5年(1793)の記録では門前周辺の寺領だけでも、8軒の宿泊施設がありました。商い店も数多くあったとみえ、町内の芝堂には40種類ほどの屋号が墓石に刻まれています。十辺舎一九が著した『小湊参詣金草鞋』という道中案内記では、門前飴屋の評判が描かれています。また、那古地区の祭礼は那古寺の祭礼として行なわれ、明治以降の那古地区の観光宣伝のなかでも那古寺が核に位置づけられるなど、那古寺と那古地区は一体となって歴史を歩んできています。
117.『小湊参詣金草鞋』(文政10年頃)
当館蔵
118.『日本博覧図千葉県』「那古村伊勢屋」明治29年(1896)
当館蔵