西暦 |
和暦 |
事項 |
717年 |
養老1年 |
春 行基、千手観音の尊像を作って伽藍を造営し、元正天皇の勅願所となる(由緒書) |
847年 |
承和14年 |
以後 慈覚大師住して再興する(由緒書) |
平安後期 |
この間 本尊木造千手観音立像造像 |
1180年 |
治承4年 |
源頼朝、参詣して戦勝祈願し、のち氏寺として七堂を建立する(由緒書) |
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正治 |
秀円上人住して真言密教の道場とする(由緒書) |
1200年 |
正治2年 |
7 秀円寂 |
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この頃 木造阿弥陀如来坐像造像 |
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この間 坂東三十三観音霊場ができ、那古寺が惣納札所となる |
1240年頃 |
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この頃 千葉胤時、銅造千手観音立像を造像 |
1324年 |
元亨4年 |
4 高橋景綱と平重行、木造阿弥陀如来坐像を修理 |
14c中~後半 |
この間 僧形八幡神像制作 |
1440年 |
永享12年 |
9 智道聖人、那古寺の鐘をつくる |
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享徳頃 |
この頃 里見義実の三男義秀、那古寺別当となる |
1486年 |
文明18年 |
道興准后、参詣して詠歌す「なごの浦霧のたえまにながむれば夏も入日を洗う白浪」 |
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河名で里人の菜を洗うを見て「つみためて洗う河なの里人よたが羹の供えにやなす」 |
1498年 |
明応7年 |
8 大地震がおこり、関東・東海・関西で大被害が発生 |
1508年 |
永正5年 |
9 里見義通、熊石丸を権別当として八幡宮を修造する |
1511年 |
永正8年 |
6 檀那薦野道了(72才)、塔と二王堂を再建 |
1514年 |
永正11年 |
11 里見義通の命により清行が鐘を再造 |
1529年 |
享禄2年 |
6 里見義豊、義弁を権別当として八幡宮を修造する |
1545年 |
天文14年 |
8 里見義堯、権大僧都教弁を別当として八幡宮を修造する |
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天文末 |
この頃 里見家の人とされる宥範、住職となる。のち惣持院へ移る |
1557年 |
弘治3年 |
11 里見義堯の柱石正木時茂、那古寺の鐘を修理する |
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11 里見義弘の股肱薦野神五郎多々良平時盛、鐘銘を入れる |
1558年 |
永禄1年 |
11 里見義弘、里見家出身の大僧都宥範を別当として八幡宮を修造する |
1562年 |
永禄5年 |
閏12 足利家国、鶴谷八幡宮別当に歳暮祈念の巻数請取状を出す |
1564年 |
永禄7年 |
小田原北条勢が館山平野に上陸し、延命寺・宝珠院・那古寺などを放火する |
1565年 |
永禄8年 |
3 足利家国、大覚寺日公大徳より伝来の孔雀明王経を那古寺へ寄進する |
1572年 |
元亀3年 |
12 里見義弘、大僧都宥範を別当として八幡宮を修造する |
1586年 |
天正14年 |
8 里見義頼、大僧都頼憲を別当として八幡宮を修造する |
1602年 |
慶長7年 |
1 里見義康、大僧都源智を別当として八幡宮を修造する |
1604年 |
慶長9年 |
12 大地震があり、東海から近畿にかけて大被害が発生 |
1606年 |
慶長11年 |
7 里見忠義、那古寺へ八幡村・那古村で256石を寄進し、那古五坊・神主・禰宜・命婦 |
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社人分の給付を指示する |
1609年 |
慶長14年 |
10 宥怡、木造釈迦如来坐像を造像(仏師加賀法印) |
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12 宥怡、木造不動明王立像を造像(鎌倉仏師加賀法印宗胤) |
1611年 |
慶長16年 |
宥怡、里見家より塔九輪の寄付をうける |
1614年 |
慶長19年 |
9 宥怡、僧形八幡神像を修鋪(江戸日本橋大経師清蔵) |
1616年 |
元和2年 |
9 幕府代官中村弥右衛門尉より寺領109石2斗を寄進される |
1625年 |
寛永2年 |
1 頼宜、江戸城に於いて大般若札を差上げ、年頭御礼を行なう |
1652年 |
承応1年 |
頼応が宝珠院堅覚の法流を受け、那古寺が宝珠院門徒から末寺に昇格する |
1673年 |
寛文13年 |
5 江戸呉服町笹元屋八兵衛易清、花瓶を寄進 |
1675年 |
延宝3年 |
6 呉服町八兵衛兄弟、本尊千手観音立像(大仏師江戸中橋祐正)と宮殿を修理 |
1686年 |
貞享3年 |
4 下関の増誉会恵、六十六部縁起を書写し奉納する |
1692年 |
元禄5年 |
10 観音堂普請にまつわる詐欺未遂事件発生、奉行所に訴えて落着する |
1702年 |
元禄15年 |
7 智積院宥鑁、中国元朝の繍字法華経を那古寺・宝珠院に寄進する |
1703年 |
元禄16年 |
9 長狭東条の小倉弥三郎ほか12名、百観音巡拝成就の額を奉納 |
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11 大地震により堂塔倒壊する |
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地震により海岸に干潟が広がる |
1711年 |
宝永8年 |
1 江戸新銭座の山屋金左衛門、東照大権現像を奉納 |
1713年 |
正徳3年 |
9 長狭東条の高橋与兵衛ほか19名、百観音と国札巡拝成就の額を奉納 |
1721年 |
享保6年 |
閏7
深名村覚翁、宮殿の木造不動明王立像を修理(江戸下谷大仏師桜井匠定勝) |
1725年 |
享保10年 |
4 頼鑁、江戸回向院第1回出開帳を実施 |
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4 頼鑁、那古寺縁起を編む |
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4 草摺引図絵馬奉納(鳥居清倍作) |
1731年 |
享保16年 |
2 紀州家家臣小出太右衛門、紺紙金泥般若心経一巻を奉納 |
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7 江戸神田の後藤茂右衛門正紀、観音堂蟇股彫刻をなす |
1732年 |
享保17年 |
12 那古大火(寺町・中浜周辺より出火) |
1734年 |
享保19年 |
3 八幡宮神職と八幡宮内陣神檀等について争論、寺社奉行所より勝訴の裁許 |
1748年 |
延享5年 |
7 霊鑑寺宮より阿弥陀尊像寄付 |
1748年 |
寛延1年 |
9 太閤御所(関白一条道香)より御簾一間寄付 |
1748年 |
寛延1年 |
11 霊鑑寺宮宗真尼王、千手観音名号の書・額を寄進 |
1750年 |
寛延3年 |
6 頼意、補陀山什物記作成 |
1754年 |
宝暦4年 |
寺町念仏講中、石造地蔵尊像を建立 |
1756年 |
宝暦6年 |
3 憲長、江戸回向院第2回出開帳を実施 |
1757年 |
宝暦7年 |
3 伊勢屋甚右衛門、多宝塔再建の万人講勧進をはじめる |
1758年 |
宝暦8年 |
5 憲長、観音堂再建(7年解体) |
1759年 |
宝暦9年 |
7 観音堂欄間竜彫刻制作(施主浅草蔵前大口平兵衛) |
1761年 |
宝暦11年 |
6 憲長、多宝塔を再建 |
1762年 |
宝暦12年 |
8 伊勢屋甚右衛門、大般若経六百巻奉納 |
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11 伊勢屋甚右衛門、閼伽井戸整備 |
1763年 |
宝暦13年 |
8 伊勢屋甚右衛門、閻魔王像再興 |
1767年 |
明和4年 |
8 伊勢屋甚右衛門(71歳)、木造阿弥陀如来坐像を修理(上総天神山仏師小間利八) |
1775年 |
安永4年 |
6 江戸問屋、山王権現石灯籠を寄進 |
1780年 |
安永9年 |
6 梵鐘を新鋳(石神村鈴木伝左衛門正尹作) |
1781年 |
天明1年 |
閏5 頼栄、観音堂宮殿建立(彫工嶋村源蔵) |
1784年 |
天明4年 |
閏1 館山藩士白井平太夫重好、木造千手観音立像を寄進(大仏師村田善兵衛) |
1794年 |
寛政6年 |
3 頼憲、観音堂屋根修理(大工加藤清兵衛、世話人釜屋太左衛門) |
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6 頼憲、観音堂修理記念に石造白衣観音像建立 |
1796年 |
寛政8年 |
4 東照大権現像を修理 |
1800年 |
寛政12年 |
那古寺衆分をめぐり、那古寺と宝珠院が争論をおこす |
1802年 |
享和2年 |
4 憲応、坂東霊場三十三観音御影板木を開版 |
1803年 |
享和3年 |
1 憲応、僧形八幡神像を修補開眼 |
1804年 |
文化1年 |
那古寺、宝珠院と衆分の本末を争い御四箇寺の内済を受ける |
1805年 |
文化2年 |
宥慧、頼応の縁起を書写す |
1807年 |
文化4年 |
宝珠院との寺格争論が再発(文化10年まで) |
1813年 |
文化10年 |
争論の内済をうけて江戸四箇寺より行明が那古寺住職に就任 |
1819年 |
文政2年 |
3 行明、江戸回向院第3回出開帳を実施 |
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4 江戸築地日高屋与兵衛、円通閣扁額を寄進(文化14年松平定信筆) |
1836年 |
天保7年 |
地蔵堂再建(大工亀ヶ原村新兵衛・源蔵) |
1846年 |
弘化3年 |
2 澄意、観音堂等の普請手当金500両を用意する |
1851年 |
嘉永4年 |
4 澄意、釈迦堂再建(大工亀ヶ原村小柴源蔵) |
1854年 |
嘉永7年 |
閏7 江戸大相撲の一力長五郎、本坊前の蘇鉄石垣を奉納 |
1856年 |
安政3年 |
仙台石巻の高橋作右衛門、那古の船仲間と廻船安全の八大竜王碑を建立 |
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慶応中 |
大日堂焼失 |
1868年 |
明治1年 |
3神仏分離により、鶴谷八幡宮の別当廃止 |
1871年 |
明治4年 |
朱印地(寺領)取り上げとなる |
1877年 |
明治10年 |
7安房国観世音三十四ヶ所順礼記を開板 |
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10コレラ流行につき国札開帳を中途差止め、残日数を翌年開扉 |
1878年 |
明治11年 |
6大芝町内で北条より山車を譲り受ける |
1880年 |
明治13年 |
8客殿を那古小学校に貸与 |
1889年 |
明治22年 |
8日枝神社氏子、石段改修 |
1897年 |
明治30年 |
7那古祭礼発足、山車祭り(東藤・大芝・芝崎・浜) |
1899年 |
明治32年 |
6和泉式部・小式部内侍・紫式部の石灯篭寄進 |
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12盛雅、檀信徒と協議し、那古寺保存法協議録を制定 |
1900年 |
明治33年 |
6盛雅、和泉式部霊塔拝殿建築を計画 |
1901年 |
明治34年 |
7山車祭りに寺赤組加入 |
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7盛雅、百人一首(和泉式部中央)天井絵制作(寺田?石画) |
1906年 |
明治39年 |
12恵日坊火災焼失 |
1907年 |
明治40年 |
7境内地を巡査駐在所に貸地 |
1915年 |
大正4年 |
10東京納札会、境内に納札塚を建立 |
1917年 |
大正6年 |
7日枝神社氏子、石段改修 |
1922年 |
大正11年 |
4観音堂改修成就(大正9年5月より) |
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9日枝神社氏子、玉垣設置 |
1923年 |
大正12年 |
7山車祭りに宿組の屋台が加入し、6町内の祭礼となる |
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9関東大震災、閻魔堂・仁王門・鐘楼堂・西之坊全壊 |
1925年 |
大正14年 |
亮船、恵日坊と西之坊を那古寺に合併 |
1934年 |
昭和9年 |
本坊新築 |
1961年 |
昭和36年 |
4亮恵、仁王門を再建 |
1966年 |
昭和41年 |
4北条の和裁士尾城利作、境内に針塚を建立 |
1976年 |
昭和51年 |
1明玄、鐘楼を再建 |
1980年 |
昭和55年 |
10宥賢、多宝塔修理 |
1994年 |
平成6年 |
3良泰、県指定繍字法華経を修理 |
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4良泰、庫裏を再建 |
1998年 |
平成10年 |
3県指定僧形八幡神像を修理 |
2001年 |
平成13年 |
12千手院新築 |
2006年 |
平成18年 |
7観音堂解体修理上棟式 |