『南総里見八犬伝』が刊行されるとたちまちに評判になりました。馬琴は、八犬伝の人気のようすを八犬伝の中に次のように述べています。
本伝は、世の人いと喋々(ちょうちょう)しきまでに、愛覆(めでくつがえ)りて弄ぶ隋(まま)に、江戸また浪速なる戯場(かぶき)にて・・大阪にて浄瑠璃に・・況て錦絵には、八犬士を画きたるもの、京江戸大阪にて年々に彫りて、今もなお出だす。ただ是のみにあらずして、諸神社の画額また燈籠にも八犬士を描かざるは稀なり。あるいは箆頭店(かみゆいとこ)の暖簾、新製の金襴緞子、あるいは煙包(たばこいれ)、団扇(うちわ)、紙鳶(いかのぼり)、小児の腹掛けにすら画きしを見き。
我ながらうち驚くまでに、いと怪しくもある哉
第九輯巻之三十六、間端附言
凧や双六、追羽根、団扇(うちわ)絵をはじめ、社寺の奉納額や絵馬、山車(だし)人形にまで八犬伝が描かれて、日本酒の銘柄にまでなりました。
是書の流行類稀(たぐいまれ)にて、ただ江戸京摂のみならず、県(あがた)田舎間、魚浦樵山(ぎょほしょうざん)、およそ足跡の至る処、舟車の通う処、年貢の出る所、・・鶏犬の声する処、洪鐘の響く所、国字(いろは)四十七言を知る田翁野奶(でんおうやじょう)山妻牧童、およそ血気ある者、この書を見て愛玩(めでもてあそ)ばざるはなしと云う
第九輯巻之五十三下 回外剰筆
そうであれば今も昔もかわりません。馬琴の『南総里見八犬伝』はその読者対象が知識階級であったため、ブームが先行しても原作を読んだことのない者も多く、八犬伝の芝居や、為永春水(ためながしゅんすい)の『貞操婦女八賢誌』などの偽作ものから、逆にストーリーを知るという者が多かったようです。
馬琴に無断で『犬の草紙』や『仮名読八犬伝』など、八犬伝のダイジェスト版の絵草子が次々と刊行され、原作者の馬琴はカンカンに怒っていますが、その当時はどうすることも出来なかったようです。
馬琴没後160年余になりますが、八犬伝人気は現代に続き、毎年のように時代時代の八犬伝が出版され、テレビやお芝居などでも上演されて、マニアの求めに応じて八犬伝グッズと呼ばれる商品がたくさん出回っています。