『南総里見八犬伝』を著した江戸時代の戯作(げさく)者曲亭馬琴(1767~1848)は、江戸深川の松平信成の屋敷内で生まれました。父滝沢興義は松平家に仕える武士でした。姓を滝沢、幼名を倉蔵、名を興邦(おきくに)後に解(とく)といいました。しかし父の没後、武家奉公を嫌って主家を出奔してしまいます。転々とした挙句、当時の流行作家山東京伝の知遇を得て戯作者の道に進みます。
馬琴はわが国最初の職業作家といわれますが、年収は40両ほどでした、米価換算で現在の約160万円程度ですので、当時の流行作家の暮らしはそれほど裕福ではなかったようです。一家を支えるため馬琴が書き上げた著述は、黄表紙・合巻・読本だけに限定しても、実に200点以上という膨大なものでした。
馬琴は自著の稗史小説『珍説弓張月』が高い評価を受けると、さらに読本の価値を高めようと、後世に残るような大作に挑戦します。これが『南総里見八犬伝』です。
文化11年(1814)に刊行が始まった『八犬伝』成立の経緯は、日々詳細に綴られた『馬琴日記』や友人・出版社に宛てた書簡で知ることが出来ます。
たいへんな苦労の上に『八犬伝』が完成したのは、28年たった天保12年(1841)のことでした。
![曲亭馬琴『戯作六家撰』所収](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0018-042-02-01.jpg)
![「頭陀{ずだ}二たび著作堂を来訪す」<br /> 『南総里見八犬伝』<br /> 第九輯之巻五十三下<br /> 回外剰筆挿絵](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0018-042-02-02.jpg)
『南総里見八犬伝』
第九輯之巻五十三下
回外剰筆挿絵
![馬琴の筆塚<br /> 荒川区青雲寺](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0018-042-02-03.jpg)
荒川区青雲寺
![馬琴の墓<br /> 文京区深光寺](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0018-042-02-04.jpg)
文京区深光寺